晋作の密かな足取りも今ではまるで筒抜け【常盤館跡碑】

前回、須崎公園を訪ねるにあたって、書籍『維新秘話福岡/浦辺登著』を参考にさせていただきました。

福岡における尊王志士たちの躍動する姿が目に浮かぶような一冊。

引き続き読み進めていると、あらたに気になる史跡が紹介されていたんです。それは博多区千代地区に立つ石碑【常盤館跡碑】。

 

さっそく一部参照させていただくとこんなお話がありました。(ありがとうございます)↓

江戸時代に「若松屋」とよばれた水茶屋は明治になると【常盤館】と屋号を変えました。ここは高杉晋作が亡命時に潜んだ場所でもある

とのこと。たしか以前に『濡衣塚』を訪ねた際、

石堂橋の電信柱の説明書きに高杉晋作のお話を見つけたことを思い出しました。↓

ではあらためてここでその説明書きをざっと読んでみたいと思います。↓

長州帰藩を決心した晋作は野村望東尼の平尾山荘から志士たちとの合流場所新茶屋若松屋に赴いたが、待ちくたびれた晋作は石堂橋を渡り関所の門番の目を欺いて柳町梅が枝屋に繰り込んだ

(※平尾山荘のお話はこちらで!↓)

また柳町(旧)は、現在の博多高等学園界隈にあったとのこと。続きます。↓

晋作は柳町梅ヶ枝屋でしばし過ごした後、大浜の海辺に沿って対馬小路の対馬藩邸へ向かったのだった

だそうです。なるほどここ石堂橋界隈には、かつて関所があったんだよと。でもなんでこんなところに!?

それはさておき、いざ【常盤館跡】へ向かうことにしましょう。↓

目の前を横切る3号線。千代3丁目の交差点を渡ります。

渡った先のガソリンスタンドを通り過ぎると↓

建て物の隙間。この謎スペースの謎衝立の後ろに、↓

顔をのぞかせる石碑が1つ。↓

【常盤館跡そして若松屋跡】。↓

ここ常盤館(跡)から石堂橋の関所はほんの目と鼻の先の距離。この地を足掛かりに、関所を越えそして柳町を駆け行く晋作なのであった。完。

(書籍『維新秘話福岡』から参照させていただきました)


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【常盤館跡碑】

福岡市博多区千代2丁目21