おもしろきこともなき世をおもしろく【野村望東尼】

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おもしろきこともなき世をおもしろく【野村望東尼】

福岡市中央区平尾。閑静な住宅街です。有名なパン屋もある。そんなところに『野村望東尼山荘跡』があります。

読み方は「もとに」もしくは「ぼうとうに」。
野村望東尼は福岡藩士の2女として生まれます。もともとの名前が浦野もと。17歳で結婚したあと離縁。その後、野村新三郎貞貫と再婚をし「野村もと」となるのです。
貞貫は3人の子持ちでしたので、いきなり大所帯の母となりました。

幼少期より裁縫に絵画に才能あふれる望東尼。特に夢中になったのが歌詠みです。大隈言道を師とし日常のささいなことから攘夷に揺れる世相まで、ひたすら詠いに詠った一生とも言えるかもしれません。

生涯中、常に病気がちであった望東尼ですが、身体の調子が良い時にはあちこちへと旅に出かけるバイタリティも持ち合わせていました。


↑野村望東尼生誕地

夫婦ようやく落ち着きつつあるころに、風雅な世界を求めて建てたのがこの山荘。しばしの隠棲生活を楽しんだのでした。

その後、夫との今生の別れを迎えた望東尼。将来を案じ博多区明光寺で剃髪し仏門に入ることに。「招月望東禅尼」となりました。

夫に先立たれ、子も全員失くしてしまう。とうとう独り身になってしまった。そんな悲しみのどん底の時にも常に望東尼を支えたのは歌を詠むことでした。この時54歳。

時代はただならぬ空気をまとい始めています。押し寄せる外国艦隊。攘夷、倒幕運動。大きな歴史のうねりが望東尼を飲みこんでいきます。

夫の死後、歌の師である大隈言道を訪ね上洛します。この時、変革のダイナミズムを肌で感じた望東尼は、帰福後も世の動きをつぶさに見て感じては筆に記すのです。

そうして巻き込まれるかのように幕末の志士たちと関わっていきます。若き革命家たちを山荘に匿い支援し応援する。けれど福岡藩にとって彼女の存在は目の上のたんこぶでした。

とある手紙の検閲をきっかけに、乙丑の獄と呼ばれる勤王派弾圧事件にて姫島へ幽閉されてしまいます。病弱な身に辛い仕打ち。ですがなんと望東尼は脱出!!その手筈を整えたのが高杉晋作です。この事件の後は山口県で匿われることになりました。

この時すでにひどい病に侵されていた高杉晋作。望東尼は彼の最期を看取ることになります。高杉晋作29歳、望東尼62歳。

そしてその数か月後、望東尼もまた、三田尻(現山口県防府市)で波瀾万丈の一生を終えたのでした。

『おもしろきこともなき世を面白く 住みなしものは心なりけり』はもともと高杉晋作の歌として知られていますが、上の句へ返した下の句は望東尼が詠んだのではという説も。

が!!そもそも、望東尼は以前にこんな歌を詠んでいます。
『おもしろき事もなき世と思いしは 花見ぬひまの心なりけり』。

書籍『野村望東尼/小河扶希子著』によりますと、病状の高杉晋作を励ますために望東尼が高杉晋作に唱和させた自身の歌が、のちにあれこれ広まってしまったという説も。

望東尼のお墓は山口県防府市にある大楽寺、そして福岡県博多区の明光寺にあります。


↑明光寺

『参考図書:野村望東尼/小河扶希子著』

【平尾山荘】

福岡県福岡市中央区平尾5丁目2−28

【生誕の地】

〒810-0042 福岡県福岡市中央区赤坂3丁目4−58

【明光寺】

福岡県福岡市博多区吉塚3丁目8