鶴はわりとワイルドに鳴く【西公園/光雲神社】
前回の続きです。
もともと【平野國臣像】を見るために【西公園】へやってきた私は(→時代の先を駆け抜け過ぎて【西公園/平野國臣像】)↓
その流れで【立帰天満宮】を訪ねたのだった!!(→無事に帰ってきて欲しいとき【西公園/立帰天満宮】)↓
そしてお次は【光雲(てるも)神社】だ!!ノリノリである。↓
【立帰天満宮】そばのこちらの階段をのぼり終えると、すぐそこに鳥居があります。↓
でもね、【光雲(てるも)神社】の一の鳥居といいますか、とにかく最初の大鳥居は、坂道を上り始める前のところで、もうすでに私はくぐっていたのだった。↓
さて、最後の坂と階段を上り終えて、突然振り返ってみると、そこにはこんな感じの、ステキな景色が広がっていましたよ。↓
大軍師「黒田官兵衛」。↓
そばにあった説明書きによりますと↓
こんなことが書いてありました。↓
福岡藩の藩祖である黒田如水と初代藩主長政の父子を祀る神社です。社号は二人の法名「龍光院」「興雲院」から「光」「雲」を取ってつけたもの。
6代藩主継高(1703-1775)の時、福岡城内に父子二人を祀ったのが始まり。明治40年(1907)この地に移されましたが、戦争で焼失。昭和41年に再建されました。
とのこと。(→行ってそうで行ってなさそう【福岡城01/福岡城跡堀石垣】)↓
それでは先へ進みましょう。こちら【光雲神社】の境内はゆったり広くて↓
入り口すぐのところにも説明書きがありましたので↓
読んでみたいと思います。↓
6代藩主継高は、長政の霊を聖照権現として社を建て、官兵衛の霊を水鏡権現として福岡城内に合祀しました。
のち明治維新を経て↓
福岡城外の西公園(荒戸山)へ社を移すことになりました。もともとこの地には、2代藩主忠之が、徳川家康を祀る東照宮を勧請しており、その跡地が選ばれたのでした。
とのこと。
ちなみにこちらは官兵衛が愛用したという水牛の兜の像で↓
そして母里太兵衛の銅像も。福岡藩士かつ黒田二十四騎の一人。黒田節でその名を知られ、手に持っている日本号という槍は、福島正則から飲み取ったといわれています。
ちなみに、JR博多駅前でも、ばっちりポーズをきめているんだよ。いつ見てもキマッテル!!↓
こちら拝殿前の狛犬は、首がぎゅいーんてなってて反対向いてるね。↓
その拝殿の↓
真上には2羽の鶴。
こちらは境内社の↓
『堅盤神社』で
そして境内社の↓
『荒津神社』。
賽銭箱にお賽銭を入れると、拝殿の鶴が鳴くと聞いていたんです。そこで私もお賽銭を入れたんだけど↓
それはもう想像以上の鳴き声だったな。「ギエー」みたいな。「グエー」みたいな。
え!?まさか私が自分で言ったとか!?それはないですよお。勘弁してくださいよお。
【光雲神社/西公園】
福岡市中央区西公園13