改宗したり再興したり移転したり焼失したり【大乗寺跡】

福岡市博多区上川端にある「冷泉公園」辺りを歩いていたら↓

通りに面したところに、【大乗寺跡】と書いてある案内板が出ていて、その案内板のそばにはいくつか石碑が立っていたのであった。↓

「跡」っていうくらいだから、ここにかつて【大乗寺】というお寺があったということじゃん!?とか偉そうに言って、私はまず案内板を読んでみることにしました。↓

【大乗寺】は法皇山宝珠院と号し、かつて奈良西大寺の末寺で律宗に属していたけれど、のちに浄土宗を経て真言宗に改宗。大正9年(1920)、長宮院との合併で現在の中央区大手門へ移転。

ですが、戦災によって焼失にいたると。↓

亀山上皇の勅願寺であったことから、寺跡には元寇の際に敵国の降伏を祈願した「祈願石」、そして「蒙古碇石」「地蔵菩薩板碑」などがあります。

また、ちょうどこの石碑のある「冷泉通り」から東側は『旧「冷泉小学校」』の敷地で、その場所にかつて【大乗寺】があったということらしいです。



ちなみに、通りの向かいの『冷泉公園』がこちら。↓

『福岡の文化財』HP内の「大乗寺跡」の項を参照してみると↓

【大乗寺】は空海の開基。建治三年(1277)、奈良西大寺の叡尊が再興し亀山上皇の勅願寺となりました。正保元年(1644)、福岡藩二代藩主黒田忠之が再興して真言宗に転じます。

大正9年(1920)、大手門1丁目に移転したが1944年の空襲で焼失。

とありました。それでは、跡地に並んでいる石碑を見てみたいと思います。

真ん中のお地蔵さまが刻まれているのが「地蔵菩薩板碑」。右端には「大乗寺跡」の石碑。↓

写真真ん中が「亀山上皇の勅願石」で↓

さらに、こちらの右から2つ目が「蒙古碇石」とよばれるもの。↓

これはその名の通り、元寇の際に蒙古軍の船の碇(いかり)として使われた石とのことだそう。



さて、「空海の開基」そして「亀山上皇」や「黒田藩」に縁があるという、そんな由緒を持つ【大乗寺】が結局どうなったかといいますと

書籍『博多 旧町名歴史散歩』には↓

現在は、鎮国寺(宗像市)に合併されています。

という記述がありました。


【大乗寺跡】

福岡市博多区上川端町6