巡り大黒と迎え恵比寿のお話【高宮八幡宮】
先日、西鉄大牟田線の「西鉄高宮駅」で電車を降りて【高宮八幡宮】を訪ねましたので、今回はそのお話です。
高宮駅西口の駅前広場を通り抜けて、↓
目の前を横切る高宮通りを渡ります。↓
するとさっそく鳥居を発見。こちらは【高宮八幡宮】の一の鳥居で↓
その鳥居をくぐって住宅街の中をしばらく進みます。↓
そしてゆるやかな坂道をしばし呑気に上っていくのであった。↓
ちなみに【高宮八幡宮】の「高宮」っていうのは、高いところにある宮だから「高宮」で、↓
また、南区高宮の「高宮」という町の名は、その【高宮八幡宮】に由来しているとのこと。ためになるう!!
坂道の途中には↓
ところどころに【高宮八幡宮】への案内標示があるので助かります。↓
しばらくすると、右手に『宮下池』があらわれて、↓
その奥に再び鳥居の姿。ザ鎮守の杜。
こちらが今回の目的地【高宮八幡宮】。
再び鳥居をくぐって↓
石灯篭がずらずらっと並ぶ階段をのぼると↓
目の前にはきれいな境内が広がります。↓
社務所。↓
手水舎のドラゴンがかっこいい。
拝殿。↓
【高宮八幡宮】は、主に高宮そして隣りの平尾や野間といった近辺の氏神様として知られており、↓
また案内板や【高宮八幡宮】のHPを参照してみますと、↓
天智天皇(中大兄王子)は百済救援のため大阪を発ち博多に上陸したあとにしばらく滞在しました。
その場所が『磐瀬の行宮(いわせのかりみや)』と呼ばれた現在の高宮。
天智天皇は、神功皇后の縁の地でもあるこの地に神様をお祀りになりました。それが【高宮八幡宮】である
とありました。そういえば以前、
福岡県春日市に鎮座する『春日神社』(↑)を訪ねたとき↓
由緒書きにこんな記述がありました。↓
『春日神社』は、中大兄皇子(天智天皇)が長津の宮(福岡市南区高宮)に居られた時、この地(春日)に天児屋根命を祀ったことに始まります
さて。こちら【高宮八幡宮】の創建はというと、↓
655年ころ、現在の場所からさらに坂をのぼった『高宮浄水場(の隣にかつてあったテレビ塔の辺り)』に創建されました。1602年に現在の場所へ遷座されました
そして↓
ご祭神は「応神天皇」「神功皇后」「比売大神」。本殿は藩主黒田忠之公の寄進で一の鳥居は長政公の寄進、拝殿は家老の加藤司書の寄進です
(※加藤司書のお話はこちらの記事も!↓)
境内には様々な神様が祀られていています。左から「権現大神」「地蔵菩薩」「庚申塔」「猿田彦大神」。↓
からの「恵比寿様」「大国主大神」「大黒様」。↓
そして「天満宮」「埴安社」。↓
さらに奥を見ると、↓
案内板にこう記されていました。↓
つまり、この台座の真ん中の板を手に取って、自分の家がある方角へ大黒様恵比寿様が正面を向くように廻す。↓
一周しないよう最短で向けなくてはならない。そして参拝後は、寄り道禁止。そうすると、大黒様恵比寿様が我が家を訪れて下さるのだそうです。
しかし!!動作を間違ってしまうと大黒様恵比寿様は迷子になってしまうのだ。これはまずい!!↓
家が近くならともかく、もしも南アフリカに実家があるとかだったら、遠いじゃん!?迷子になったら、辛いじゃん!?
ですので、遠方に住む人には、より慎重に廻していただきたい。
例えば、こう廻すというわけ。↓
終わり。
【高宮八幡宮】
福岡市南区高宮4丁目9-34