甕棺は棺でありタイムカプセルである【やよいの風公園01】

昨年の春に訪れた『飯盛神社』を再訪問しようと思い立ち、

先日、西区まではるばる出かけてきましたので、今回のお話はその一部始終である。こんにちは。

さて「田」の交差点を過ぎ↓

室見川に架かる、

「田村大橋」を渡って↓

もう少しだけ先へ進むと↓

そこは「飯盛」の交差点。その交差点脇にいくつか案内が出ていたので↓

さっそく近づいて良く見てみると、案内にはこういう風に記してありました。↓

左へ進むと「金武古墳群」、右へ進めば「野方遺跡」、真っ直ぐ進めば「羽根戸南古墳群」。これはちょっと寄ってみたい。当初の目的地だった『飯盛神社』へはまた別の機会に訪ねたいと思います!

 

ではまず、交差点を左へ進んでみることにします。↓

すると通りの脇に案内が出ており、そこには【やよいの風公園。吉武高木遺跡】と記されている。↓

ほぅ。「金武古墳群」ではないみたいだけど、せっかくですし訪問してみましょう。辺りを見渡せば、そこらは田園の趣きで、↓

案内のまま進んでいくと、その田園の中に公園があって、そしてサイドに入り口を発見。↓

こちらが【やよいの風公園】。↓

振り返ると、ああ聳え立つ飯盛山よ。↓

公園のメインエントランスは別の場所にあるみたいだけど、とりあえずここから入園します。↓

園内はこういう具合になっているらしく、↓

今回はここから時計廻りにぐるり散策を楽しむことにします。

公園名にある「やよい」というワードから察するに、ここは弥生時代の遺跡がある系公園、で間違いないでしょう。ほら、さっそく「やよいの川」。

そばに説明書きがありましたので、↓

読んでみます。↓

吉武高木遺跡は南西の山から広がる小高い扇状地の上にあり、ふもとの室見川流域には豊かな湿地が広がっていた。ここからは飯盛山だけでなく早良平野や博多湾も一望できたようです

続きます。↓

園内には発掘調査で確認された谷川の地形と、タブノキやクスノキなど弥生時代の植生を復元しています

そこから少し先へ進むと、道は甕棺墓群「甕棺ロード」へ続きます。↓

こちらのセクションには、甕棺発見時の様子が石碑レプリカで再現されていたり、↓

また甕棺が発見された場所には、各々に詳細な説明が加えられていたり。例えば「上に石の置かれた甕棺」だとか↓

「複数の青銅器が副葬された甕棺」だとかそんな具合。↓

さらに、甕棺自体に関する説明書きがありましたので、

まとめて参照してみますね。↓

2000年前を知るヒント。甕棺は亡くなった人を埋葬するための土器の棺ですが、副葬された青銅器やアクセサリーなど貴重な品々を現代に伝えるタイムカプセルでもあるのだ

発掘された甕棺の位置関係。前期のものが手前に集中しています。↓

「甕棺の移り変わり」について。↓

弥生時代前期末から中期はじめは胴の上部が少しくびれ口が大きく広がる、壺のような形であった

それから↓

弥生時代中期中ごろの甕棺は、くびれがなくなり、薄く背が高くなった

さらに↓

弥生時代中期後半の甕棺は、胴がふくらみ丸みをもつようになった

とありました。奥深い甕棺の世界よ。歴史の証言者よ。まだまだお話は長くなりそうなので、今回はここまで。

お話の続きはまた次回に。よろしくお願いします。↓


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【やよいの風公園】

福岡県福岡市西区吉武