鏡はちらっと見るくらいがいい【水鏡天満宮】
福岡市中央区の天神地区を貫く渡辺通りを北上して↓
交差する明治通りを中洲方面へと歩いていきます。走ってもいいです。↓
ここ天神地区は福岡の中心地ともいえる賑やかな街。↓
そんな街の名前『天神』の由来になったのが【水鏡天満宮】と聞きました。
明治通りを進んだ右手に複合施設「アクロス福岡」があって↓
その通りの向かいに鎮座するのが【水鏡天満宮】。↓
背の高いビルが建ち並ぶ通りの途中に、ぽつんと取り残されているような光景です。
通り沿い入り口そばに案内板がありましたので↓
まずは読んでみたいと思います。↓
はるか昔、菅原道真公は大宰府へ左遷されることになり、博多港へと辿り着きました。そこからさらに南下して大宰府を目指すわけです。
その道すがら、四十川(今の薬院新川)の水面に映る自分の姿を見て、道真公はひどく落胆したといいます
おや!以前にもこちらの記事で↓
とても似たお話を聞いたことがありますね。
それはさておき、説明書きは続きます。↓
しばらくして道真公は大宰府の地で亡くなり、四十川のとある場所(今の今泉)に【容見(すがたみ)天神】が建立されたのでした。
それからのち1612年のこと。黒田長政が福岡城を築城する際、鬼門となる場所に鬼門除けとしてその【容見天神】を遷座し、黒田忠之が社殿を再建。それが現在の【水鏡神社(天満宮)】である
この地にはもともと「地福寺」があったみたいですが
あれ、違う?違います?よく分かってません。
ちなみに【水鏡天満宮】鳥居の扁額は、
広田弘毅(福岡出身者初の総理大臣)が小学生の時に揮毫したものなのだそう。↑↓
では鳥居をくぐって境内へ。
『天満宮』ということもあって、ご祭神は「菅原道真公」。
こちら神門。↓
手水舎があって↓
ナデナデ撫で牛。↓
鶯の石像。幸運を招く守り神。↓
狛犬。いかついですね!!↓
社殿。↓
社殿裏には境内社の『荒木田稲荷神社』。↓
こちらは『末社合祀殿』。「大黒社」「秋葉社」「金刀比羅社」「宮地嶽社」。↓
石碑なんかもあって↓
ご神木。↓
【水鏡天満宮】を出た脇のところには、飲食店が立ち並ぶ小さな路地『博多名物うまかもん通り』があって↓
そこを奥まで進んでみると鳥居(北側)がある。つまりここは参道で、↓
さらにその北の鳥居の隣りには、辰野金吾で知られる『赤煉瓦文化会館』。↓
といったところで神社散策はおしまいなんですけど、ちょっと場所を移動したいと思います。いいですか。福岡市中央区の薬院地区までひとっ飛び。エイッ
ッと。こちら薬院の『姿見橋西』の交差点前には、↓
先述した薬院新川(四十川)が流れ、そこに『姿見橋』が架かっているんです。ということで↓
さっそく道真公の真似をして水面に自分の姿を映してみる。誰だあんた!
さすがに泣きはしませんよ!?波でぼやけた水面にただ怪しい人影がにじむばかり。
交差点から少し路地へ入っていくと、↓
通りの片隅に『容見天神故址』の石碑を発見。↓
おっと軒先!?これは失礼いたしました。
【水鏡天満宮】
福岡市中央区天神1-15-4
【姿見橋】
福岡市中央区薬院1丁目2