もう永遠に大学生気分【元寇防塁03(西南学院大学)】
前回の続きです。↓
前々回、前回と、福岡市早良区に残る元寇防塁の跡を訪ねてきました。
そして今回は、一連の大本命である『西南学院大学』構内の【元寇防塁の跡】へ向かいたいと思います。こんにちは。
大学入り口のところには『部外者構内立ち入り禁止』の看板が立っており、完全に部外者の私は極めて躊躇したわけですが、でもちょっと待って!?
防塁見学には立ち入るしか方法なくない!?ってことで、さっそくお邪魔します。
するとまるで私を導くかのように案内が貼られており↓
あれよあれよともう1号館の中である。↓
館内入ってすぐのところが、すでに2階という建築構造で、目的地である『元寇防塁移設復元コーナー』は1階にあるとのこと。↓
館内に説明書きが貼られていましたので↓
まずはざっと読んでみますね。↓
モンゴル帝国(元)はフビライの時に二度にわたって遠征軍を送り日本を傘下におさめようとしました。一度目は28000の兵力で博多湾を襲い激戦を展開するも暴風雨で撤退。これが文永の役。元の再襲を恐れた鎌倉幕府は石築地を築き防衛体制を整える。そして二度目は14万の大軍による遠征でしたが、暴雨風雨により撤退。これが弘安の役
続きます。↓
元寇防塁は鎌倉幕府が文永の役後に造らせた今津から香椎にかけて20キロに及ぶ防衛施設。前面(海側)に石積みする点は共通で、後面は分担国によって違う。本学第一号館の新築にあたって検出された元寇防塁は2.4メートルの本体の両面を石積みで堅固に整え、中に粘土と砂を交互に敷き詰めていました。分担国は不明
発掘現場の断面図。↓
赤線部分のみ出土した石積みを使用(復元コーナー)。↓
学内にて発掘された様子。↓
こちらは蒙古軍の雰囲気。↓
そして1号館1階の元寇防塁跡(移設復元)の平面図と↓
その説明書きも。
読んでみるとこうありました。↓
出土した土塁は東西長さ20メートル。元寇防塁の遺構で土塁が発見されたのは今回が初めて。土塁から見て北側(海岸線側)に並行して石塁の土台部分の石が残っていました。『遺跡 元寇防塁』はこの遺構の一部を、出土した場所から約12メートル北東側へ移築し復元したもの
さてさて予習もばっちり済みましたので、そろそろ1階へ向かうことにします。↓
案内があって↓
ドアの先には↓
どどんと元寇防塁(移設復元)。↓
なかなかの迫力です。↓
吹き抜けになっているので開放感がある。↓
くれぐれも登らないように!お願いしますよ!↓
2階から見るとこんな感じ。一見の価値あり。↓
見学を終えましたので、そそくさ地下鉄の駅へ向かっていると↓
キャンパスマップを発見。キャンパスライフ!合コン!テニスサークル!↓
もうすっかり大学生気分です。気持ちは舞い上がるばかり。
なんともあつかましいことに、今度は大学付設の博物館も訪ねてみたいなとか言い始め↓
そのまま扉を開けてさっそく見学へお邪魔しました。
館内にはキリスト教関連の展示がたっぷりあって、実際のところ大満足の見応え。ご興味のある方は是非!超是非!(写真撮影の許可とりました)
こうして一連の元寇のお話は幕を閉じるのであった。さようなら、大学生活。
【西南学院大学】
福岡市早良区西新6丁目2-92