遺跡の眠る丘から見る新幹線とは【新幹線の見える丘】

つい先日のこと。

世間もすっかり春めいてきましたので、おしゃれなシャツでもいっちょ買っちゃおっかなと、春日フォレストシティへ向かうことにしたのでした。こんにちは。

その道中、わりと急な坂道を上った先のところに、ふとこんな碑が立ててあるのを発見。いったいなにごとです!?

さっそく近くへ寄ってみると、

そこには『門田遺跡跡』と記してありました。他にも文字があったけれど、あとは判別できず。残念。

ラウンドアバウトみたく道路の真ん中に遺跡を示す碑が立っている。なかなかの存在感です。そしてその遺跡碑の後ろに博多総合車両所の姿を確認。

引き続きさらに先へ進んでみると、今度はこんな案内が出ているではありませんか。なになに。

【春日西多目的広場公園(新幹線の見える丘)】!!う!ロマンティック!!

気になりますね。鉄道のことは全く分からないけど、新幹線と丘、春のマリアージュ。

 

さっそく案内通りに進んでみると、通りの左手に駐車場の案内と施設の案内板。どうやらここが噂の丘のようです。

まずはこちらの案内板を読んでみると、

そこにはこんなお話が。

原(はる)遺跡。弥生時代中期には甕棺墓を主体とする200基以上の墓地が形成。当遺跡最も大きな墓壙を持つ甕棺墓からは、20歳前後と40歳前後の女性が同時に埋葬されたことが分かっています

続きます。↓

10号甕棺墓は周囲に溝が巡り、被葬者の頭骨は赤く塗られていました。1974から1975年の山陽新幹線車両基地関連施設の工事に伴い、発掘調査が行われました

丘というのは遺跡のことみたい。

ではその遺跡の丘を上りますよ。ゆるやかな坂道の上、右手を見やれば広場が広がっており、子どものにぎやかな声が響き渡っています。

左手には案内板が連なるスペースがあって、先のほうにはこんもり土が盛り上がっている。

こちらが【新幹線の見える丘】。並び立つ案内板をそれぞれざっと読んでみます。

まずはこちらから。↓

読みますね。↓

石組炉。縄文時代早期の石組炉が多く見つかりました。石組炉とは拳大から人頭大の石をくぼませた地面に並べた火床。調理や暖をとるために使用

とのこと。それからこちらは、↓

こんな具合。↓

この場所は南方の観音山から北にのびる標高約35mの平坦な台地。門田遺跡からは、旧石器時代に使われた石器や縄文時代の爪形文土器が見つかり、原遺跡や百堂遺跡では石組炉が見つかっています

先ほど出合った『門田遺跡』の説明もあったのが嬉しい。

ザ・親切!!

ちなみに、新幹線車両基地の反対側にも遺跡跡の碑が立っているのを、

以前見かけたことがあります。『柏田遺跡跡』。↓

では丘のお話に戻ります。お次はこちら。↓

こうありました。↓

原遺跡。春日市南西部の台地上に広がる遺跡。特に遺跡の西部には200基を越える甕棺墓群が密集。発掘調査後には多くを埋め戻し保存

この下に埋め戻された甕棺墓が!?↓

それはさておき!なんだけど。新幹線の説明書きは特になし!?取りあえずフェンスに顔を近づけてみると、↓

あっちの向こうに確かに新幹線は見える見える見えている。つまりここはそんな丘。

他になにか新幹線にまつわるものでもないかと、隣りの広場へ向かってみます。↓

するとほらほら新幹線。あるじゃんか!丘から見える新幹線とは君のことだったのか!?あら、もう一つは黄色の新幹線!?

といったところでようやっと丘をあとに、さらに先へ進んでみると、

ちょうど観音山前の交差点に辿り着きました。

※以前に観音山を訪ねたお話はこちらと、↓

それからこちらで是非!↓

さらにこちらも良かったら!!↓

この交差点から左へ進んでいけば、フォレストシティへと向かう道が続いており、

その途中に軽く桜が咲いていたので、ああきれいだなあとバシバシ写真を撮っていたら、

シャツを買うのはまた今度にしようという気持ちになったのでした。完。

【春日西多目的広場公園(新幹線の見える丘)】

福岡県春日市白水ヶ丘6丁目122