かくれみのとかそよごとか【観音山と石割山01】

先日、福岡県春日市の『JR博多南駅』そばまでやってきましたので↓

ついでといってはなんですが、以前にも訪ねたことのある【大徳寺】そして【観音山】を再訪問してみました。今回はそのお話です。↓

通り沿いには【大徳寺】と記された碑が出ていて、そばに説明書きが立っていましたので↓

前回にも確認しましたが、今回あらためて読んでみたいと思います。↓

観音山・石割山。一帯は自然林に覆われ「かくれみの」や九州では稀な「そよご」など貴重な植物が残る。山頂の眺望は素晴らしくハイキングや森林浴が楽しめます

続きます。↓

観音山古墳群。観音山の山麓に造られた1500年前の古墳群。総数250基以上でこの時期の古墳群としては九州最大。山中にはまだ古墳群が眠っている。観晴ヶ丘公園には完全状態の古墳(中原1群36号墳)を保存

(※中原1群36号墳のお話はこちらで!↓)

こちらは周辺図。観音山そうつくコース。↓

弘法大師のお話も参照します。↓

観音山大徳寺と弘法大師。密教(真言宗)のお寺。明治35年、徳永義善法印が夢で観音山の霊気を感じ、草を刈って庵を結んだのが始まり。お堂や境内には多くの仏像をはじめ、弘法大師所縁と伝えられる場所や品々が残されています。稚児落としやほてい岩、屏風岩、えぼし岩などの奇岩が多くあり桜の名所でもある

とのこと。

 

それではさっそくお寺の境内へ失礼します。↓

『観音山の由来』。↓

読んでみると、↓

1770年の昔、空海弘法大師は唐土(中国)に渡り真言密教を学んで博多へ御乗陸。二年間博多に御留錫。観音山に登り、奥の院一の滝で身を清め、大岩石に観音様の梵字を彫り一本の松の木を植えて下山。松は現在切株のみ残る。筑紫高野山 大徳寺

とのこと。扁額には『大徳密寺』。↓

弘法大師が植えた松の木のこぶ!?先ほどの説明書きには「根の一部」とありました。↓

「不動明王」「十一面千手千眼観世音菩薩」「弘法大師」。↓

境内右手へと進んでみると↓

「不動明王」、それから

いわゆる巨石群。↓

支え合ってる感にぐっときたり!?こなかったり!?↓

「南無稲荷大明神」。↓

この巨石の脇からのびる階段を上っていくことにしましょう。↓

すると、こちらも以前訪ねた『金生神』が目の前に。↓

これぞキラキラネームである。↓

参拝にもいっそうの力が入ります。とにかくそこをなんとか!なにとぞ!↓

振り返るとこんな景色。向こうに見えるのは「博多総合車両所」。↓

さらに階段を上っていきます。↓

すると、こちらも以前訪ねた『奥の院』。

ここは弘法大師が身を清めた一の滝で、

すぐそばのところに『弘法大師手彫り梵字』。↓

さきほどの説明書きから参照すると↓

空海(弘法大師)が唐から戻ってきたとき、山の中腹にある一ノ滝で身を清め、岩に聖観音菩薩の梵字を彫ったことが「観音山」の名の由来。梵字は大徳寺の奥の院にあります

つまりこれは「聖観音菩薩」の梵字。↓

石碑のさらに右側からは、なんだか小さな山道がのびているような!?気がしなくもないんだけど↓

それはさておき、そろそろ奥の院をあとにして、そして引き続き【観音山】を登っていくとして、↓

お話の続きは次回になります。よろしくお願いします。↓


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【観音山】

福岡県那珂川市中原467