博多駅から旧筑前簑島駅まで辿ってみた【旧筑肥線1/4】
先日、福岡市博多区の博多駅近辺を散策していたところ、なんとも気になる建造物を見つけたんです。↓
緑道の脇にあって駅のプラットホームのように見えるけど、線路なんてないし。やだ恐ろしい!!
とか思って調べてみたところ、どうやらこれは『旧筑前簑島駅(オブジェ)』なるものらしく、↓
この『旧筑前簑島駅』との出あいをきっかけに、【筑肥線】そしてその廃線区間の存在を知ることになったのでした。こんにちは。
ん!?【筑肥線】ってなに!?
まずwikipediaの【筑肥線】の項から参照してみたいと思います。↓
もともと私鉄であった『北九州鉄道』が、博多~伊万里区間に【筑肥線】を敷設しました。
1937年に『北九州鉄道』は国有化されて『日本国有鉄道』に。
1983年、地下鉄空港線の開通による路線競合だとか、地上線が引き起こす交通渋滞の一因、はたまた部分電化などの理由によって、姪浜~博多区間は廃止されることに
その廃止されたという停車駅は、『筑前簑島』『筑前高宮』『小笹』『鳥飼』『西新』。距離にすると全長約11.7km。廃線からは36年の月日が経過しています。
この廃止された区間を辿ってみたい。ふとそんな想いがふつふつと。なぜなら、偶然の出会いを大切にするタイプだから…。
というわけで、今回から数回にわけてのんびり辿ってみようと思います。もちろん書籍やネットを参考にしながらですけど。↓
それではさっそく『博多駅』からスタート。というのも【旧筑肥線】は『博多駅』に直接乗り入れていたそうなんです。
人で混み合う『博多駅』駅前をさっと駆け抜けて、↓
鹿児島本線の線路に沿って、しばらくまっすぐ進みます。↓
この線路にそのまま沿って進んでいけば、わりとすぐに「JR竹下駅」へ到着。ですが【旧筑肥線】はというと、ここからゆるやかな弧を描いて右側へと逸れていくことに。↓
真正面の木が見えるところまで歩いていくと、↓
そこは「美野島公園」の入り口。この緑地道をそのまま道なりに進むわけですが、↓
ちょっとだけ寄り道しますね。公園内を散策。すると奥のところに石碑を発見。↓
右の碑は「簑島の碑」。簑島の歴史を記念したものらしく、また左の案内板には『筑前簑島駅』のことが記されていました!!↓
すかさず読んでみると、こんな具合。↓
美野島の由来。かつて美野島は今の街並みとは違って、海を臨む位置にありました。当時、那珂川の河口には「簑島」という小さな島があったとされています。近年までの「簑島」という町名は、昭和44年に「美野島」となりました
つい最近までこの地の地名は「簑島」だったと。そして↓
大正15年に北九州鉄道(のちの筑肥線)が博多駅まで延長され、昭和4年に日本足袋簑島工場の要請により、簑島公園南西の位置に『筑前簑島駅』が誕生。昭和58年、筑肥線が福岡市地下鉄と相互乗り入れを開始するにあたって、ほぼ平行にあたる筑肥線の博多・姪浜間が廃止となりました
それでは、引き続き先へ進みましょう。
緑道はいったん途切れたり。↓
左にはゴルフの練習場、その奥には「パナソニックシステムネットワーク」(九州松下電器工場)。
そこから少しだけ進めば
一つ目の駅『旧筑前簑島駅(オブジェ)』に到着です。
実際の『旧筑前簑島駅』の位置は、もう少し先に見える陸橋の下あたりだったそうで↓
その橋の裏側には、かつてを偲ばせる煤の跡が今も残っていると聞きました。↓
ちなみに以前(数年前)はこんな感じだそうなんで、ひょっとすると修繕されてきれいになっているのかな。↓
かつて松下電器の社員が数多く『旧筑前簑島駅』を利用し、この辺りはずいぶん混雑したのだそうです。だけど
そんな記憶も夢の中。ってことで、今回はここで終了。お疲れ様でした。
次回もよろしくお願いします。↓
【旧簑島駅】
福岡市博多区美野島3丁目9-11