樟に包まれているのはあなた【謝国名の墓】

1年くらい前に、福岡市博多区にある【謝国名の墓】を通り過ぎたことがあったんです。気にはなってはいたんですけど、訪れることなくそれっきりに。

そして時を経て、先日のこと。博多駅前近辺に用事があって、ふと思い出しましたので、今回訪ねてみましたよというお話をこれからしたいです。↓

JR博多駅前そばにある『博多千年門』から

福岡市水道局の脇を通って↓

そこからさらに御笠川へ向かってクネクネ歩いてくと↓

細い通り沿い(出来町通り)の左手に小さな門があります。↓

門の中にはなにかしらの建物があって、すぐそばには大きな樟の木。↓

1年前に通りかかった時は、なんだか入るに入れない独特な雰囲気があって↓

その時は門の隙間からちょっとのぞくばかりで、私は悲しく立ち去ったのでした。↓

しかし時を越え、今回こうして門をくぐるに至ったというわけです。↓

大楠さま↓

そばの案内板には↓

こんなことが書いてありました。↓

謝国名は、鎌倉時代の博多に居住した宋出身の貿易商人。船首と資本家を兼ねた綱首として日宋貿易を主導する一方、熱心に仏教を信仰。宋から帰国した聖一国師を助けて承天寺の建立に力を尽くしました

そして↓

貧民救済や鍼治療の普及にも貢献。没後、この地に葬られました。墓上に生えた樟が墓碑を包み込んだといわれ、大楠さまという愛称で親しまれています

見た目はこういう感じの人らしい。日本人女性と結婚し「謝太郎国明」という日本名も持っていたよ、というお話もききました。↓

また、説明書きにある『綱首』というのは↓

船を所有し日宋貿易を行った宋の商人のこと

では、そろそろ門の中へお邪魔してみます。

 

こちらの建物は↓

「出来町集会所」で、その前に「南無阿弥陀仏」の碑。↓

奥にはお堂と「謝国名の碑」。後ろの壁は博多塀ですね。↓

さらに仏様だとか↓

石碑だとか。↓

そしてこちらが、大きな大きなザ・樟です。↓

左が初代で右が2代目!?だとか、そんなお話もあるそうですが、私は良く分かりません。↓

でね、この樟の中になんと「謝国名」のお墓がある、ということになっている、とかいう話もあるそうです!?↓

また、『福岡市の文化財』HP内記事を参照しますと↓

筥崎宮の社領の一部を購入して承天寺に寄進しその経済的基盤を固めたり、宗像社社領の小呂島の地頭と称して社役を納めなかったなど、在地領主としての活動も知られている

という記述もありました。

さて謝国名は、宋から帰国した聖一国師(円爾)に帰依。

円爾を開山として「承天寺」を建立。↓

その承天寺の境内には↓

「饂飩蕎麦発祥之地」↓

そして「山笠発祥之地」の碑がたっています。↓

これらはそれぞれ↓

うどんの発祥というのは、聖一国師が日本に製粉技術を伝えたことに由来します

そして

祇園祭山笠の始めだとされているのは、飢饉や疫病が流行った際に、施餓鬼棚を担ぎ法水をまいて、疫病封じをしたことから。このことがのち山笠に繋がっていったとのこと

さらに、こんなお話もあるんです。↓

聖一国師は、不景気の年の瀬に、貧しい人たちに「蕎麦粥」をふるまいました。すると景気が上向いたことから、今でも続く『年越しそば』が広まったのです。そういうわけで発祥の地とされています

謝国名そして聖一国師が博多の地に及ぼした影響たるや!!

そんな謝国名を偲んで、ここ【謝国名の墓】では毎年「千灯明祭」が行われているのだそうです。


【謝国名の墓】

福岡市博多区博多駅前1丁目25