遠回りしたほうが良かったのか【味噌喰地蔵尊】
前回の続きです。↓
前回、福岡市中央区警固に鎮座する『小烏神社』(↑)を訪ねました。
今回は、その帰り道のお話になります。
慣れない場所を適当に歩いていましたので、あれ道に迷ったなと確信したタイミングで、↓
偶然見つけたのが、こちらの【味噌喰地蔵尊】。↓
帰宅してから地図で位置を確認してみたら、実際には『小烏神社』からほんのすぐそばでした。ちぇっ。こんにちは。
それはさておき、ご存知かもしれませんが、私は偶然の出会いを大切にしたいタイプ。
そこでさっそく、こちらの細い道を進んで【味噌喰地蔵尊】を訪ねてみることにしました。↓
奥にお堂があって↓
そばの説明書きを読んでみると↓
この地蔵尊は、享保の大飢饉で亡くなった人々の霊を慰めるために据えたものです。この地は古小烏と浦谷(現中央区桜坂1丁目)との境の小丘で、ここを通るのが、城下町にある「飢人救い小屋の粥場」へ行く最短距離でした
しかし飢えて体力のない人が丘を越えるのは大変です。↓
ここで多くの人が力尽き行倒れたのでした
とのこと。
そんな悲劇に見舞われた人々に対し供養が行われてきたわけですが、とある時のこと。
地蔵尊の口元に味噌を塗りつけた人がいたことから、風習が生まれ【味噌喰地蔵尊】とよばれるようになりました
個人的に感じたのは、どちらかというと『味噌喰わされてます地蔵尊』のほうが意味合い的に正しいような気もするけど、そういうことを言う人にはバチが当たるんじゃないかなとも私は思う。
さてここから坂を下っていくと
上のほうに【小烏神社】っぽい景色が見えて、あれ!?と思いながら↓
そのまま下り終えると【小烏神社】の鳥居。無事に元の場所へ戻ってきました。↓
その時にふとこういうのを見つけたんだけど、↓
あざといから0点。むしろマイナス点をつけたい。
※享保の大飢饉については、こちらの記事や↓
こちらもどうぞ↓!
完。
【味噌喰地蔵尊】
福岡市中央区警固3丁目9-39