池島殿は手足の守り神として信仰あり【筥崎宮04】
前回の続きです。↓
前回、福岡市東区の箱崎地区に鎮座する【筥崎宮】を訪ね、立派な楼門を前に「ああ立派だあ」と立ち尽くしたのでした。↓
今回も引き続き【筥崎宮】境内を散策していきます。こんにちは。↓
社殿をあとにしたらまずはじめに、気になっていた『亀山上皇奉安殿』へ向かいたいと思います。↓
その途中に、こんな説明書きが立っていましたので、↓
さっそく読んでみるとこうありました。↓
亀山上皇の時代に、日本最大の危機ともいえる「蒙古襲来」が起きました。亀山上皇はこれに対し、「わが身を持って国難に代わらん」と自ら異国降伏祈願を行いました
そして↓
文永の役において、元は百地原沿岸より上陸。九州御家人の大将少弐氏が迎え撃ちました。赤坂、鳥飼、百地原、姪浜にて奮戦勝利
ちなみに↓
筥崎宮も兵火に遭ったが、亀山上皇は被害に遭った本殿社殿の再建に尽くされ、国家安泰を祈念して「敵国降伏」を下賜されました
とのこと。
(※元寇のお話はこちらでも!↓)
「蒙古襲来絵詞」。↓
解説文からも漏れ伝わるように、竹崎季長の活躍(アピール)が激しい。↓
亀山上皇の、↓
「木像亀山上皇御神像」。↓
説明書きがありましたので↓
読んでみたいと思います。↓
ここに奉安する木像ご尊像は、博多区の東公園に立つ銅像の原型として明治時代に制作されました。制作の依頼を受けたのは博多出身の彫刻家山崎朝雲です
続きます。↓
総高612.4cm。明治の木彫像としては最大級の大きさを誇ります
だそうです。(※東公園のお話はこちらでも!↓)
ではもう少しだけ境内を散策しましょう。↓
社殿右脇からさらに奥へと進んでみると、↓
「紫陽花園」があって↓
現在は閉園中みたい。↓
そして↓
「末社」。↓
狛犬。どもども。↓
「西末社」。↓
こちらは↓
「東末社」。↓
狛犬。こんにちは。↓
「乙子宮」の↓
乙子宮参り。↓
「池島殿」。↓
そばの説明書きを読んでみると↓
こうあって↓
池島殿は古来より手足の守り神として信仰があります。わらじをお供えして病気の平癒を祈ります。良くなったら再びわらじをお供えしてお礼のお参りをします
さらにこちらには↓
こんなお話が。↓
池島殿は、東末社の一つ。ご祭神は「軻遇土命」。このわらじは子どもの一歳の誕生日に餅を踏ませる際にも使われます
わらじ。↓
とても興味深いお話です。
そういえば福岡市博多区の吉塚に鎮座する『飛来神社』(↓)にも、
「手足の神様」として、似たようなお話がありました。↓
それはともかく、↓
だんだんと、そしてどんどんと日が暮れてきましたので、↓
もう一刻も早くダッシュで家に帰りたいと思います。
それではまた会う日まで。ありがとうございました。
【筥崎宮】
福岡市東区箱崎1丁目22-1