繊細かつ情熱的でもある男であった【針摺石】
福岡県筑紫野市の針摺北地区にある【針摺石】を訪ねましたので、今回はそのお話です。
「西鉄朝倉街道駅」そばの踏切を越えて↓
住宅街の細い道を、筑紫野方面へ進んでいきます。↓
通りを途中で左へ折れると「針摺児童公園」があって↓
そこからさらにほんの少しだけ進むと↓
民家の前と言うか脇の辺りに案内の石碑が立っています。↓
『針摺石←』。石碑にはこういうふうに記してあって↓
その案内のままに進んでみると↓
あっさり無事に到しました。↓
私は、このお堂の前が境内かと思ってまったりしてたんです。↓
ここは、普通に車の通り道らしく、なんかみんなガンガン通るから。どうぞ気を付けて。
さて、お堂の中をちらっと失礼します。↓
そして失礼しています。↓
周囲を、こんな感じの石像で囲まれていて↓
その奥に説明書きがありましたので↓
さっそく読んでみたいと思います。↓
この針摺石には伝説があって、地名の由来になっています。その昔、大宰権帥として左遷された菅原道真公が、天拝山山頂で身の潔白を訴えられた帰り道、この地をお通りになりました。
そして↓
老人が石に斧をたてて一心に摺っているのを見かけたのでした。老人に何をしているのか尋ねた道真公。老人は、石を針にしていると答えたのでした。
すると道真公は↓
老人の言葉に感動。何事も不断の努力が必要だと、天拝山に戻り点に向かって訴え続けたのでした。
また『筑前国続風土記』によりますと↓
この石はもとは山のふもとにあったけれど、近年この場所に移されました。
この石(針摺石)とはどの石なのだろう。↓
こっちかな。分かりません。※天拝山を訪ねたお話も良かったらこちらで!(→久しぶりに天ぱりましたわあ 01/02【天拝山】)↓
さて、この伝説を読んで、私は以前に二日市の『鯰石』を訪ねたときのことを思い出していたのでした。(→鯰石を見て物思いにふける我【鯰石】)
二日市の『鯰石』にも伝説があって、その伝説というのは、道真公が鯰を切ったら石になって、それが現在も鯰石として残っているよというお話。↓
その伝説を知った私は、いったい道真公はこんなところでなにをウロウロしているんだと、ブログ記事内で疑問を投げかけていたのであった。(余計なお世話)↓
そしてその疑問に対する考察の結果、道真公は天拝山への道すがら、ちょっとお散歩してたんじゃないかな、という結論に至ったのでした。↓
では、そろそろまとめに入りたいと思います。今回の『針摺石』そして『鯰石』という二つのエピソードを通して、私は道真公の人物像についてこう表現したい。↓
ずばり、道真公という人はアクティブ。そしてポジティブ。だけどちょっぴりネガティブ。
納得していただけるであろうか。
【針摺石】
福岡県筑紫野市針摺北13-15