都会の喧騒を離れたとたんに【冷泉公園】
先日、福岡市博多区の下川端地区にある『福岡アジア美術館』を久しぶりに訪ねたんです。↓
そして見学を終えたあとも、なんだか気分がそわそわして落ち着かないので
そのまま辺りを散策することにしたんです。
川端商店街界隈をぶらぶら歩いていると、ちょうど【冷泉公園】前を通りかかりましたので
ちょっと休憩しちゃったよ!?というのが今回のお話です。
ここ【冷泉公園】は、さすが都会の公園といった趣きで、人々が多く行き交う喧噪の中に位置するんだけど↓
園内に入ってみるとまったりした空気が流れており、集っている人もまったりした人ばかり(いい意味で)。
これまで何度も訪れてはいるんですが、今回は結構久しぶりですので、あらためましてこんにちはといった感じ。
【冷泉公園】のほんのすぐそばには
通りに沿って【大乗寺跡】があり↓
こちらも以前訪ねたことがあるんですが↓
復習を兼ねて、再度寄ってみたいと思います。
以前にはなかった気がする、こちらの説明書き。↓
さくっと読んでみますね。↓
かつて博多にあった法皇山宝珠院大乗寺の跡地。もともと律宗で奈良西大寺の末寺だったが浄土宗になり、黒田忠之の命で真言宗に。本尊は伝・弘法大師作の千手観音。中央区大手門に移転するが福岡大空襲で焼失
とのこと。
そして説明図によるところの「大乗寺板碑」と↓
「地蔵菩薩像板碑」。↓
【大乗寺跡】の裏手には↓
『旧冷泉小学校』の跡地があって↓
さらに続いて奥に鎮座するのが『櫛田神社』。↓
こちらも以前訪ねたことがありますね。↓
ところで!今回初めて気が付いたんですが
『櫛田神社』前の通りの向かいの脇に
こんな碑を見つけたんです。↓
読んでみると↓
旧大乗寺前町。禅宗の大乗寺前。芝居小屋宝玉舎があった
とのこと。宝玉舎だって。気になりますねえ。
ではそろそろ【冷泉公園】に戻りましょう。↓
園内中央にはドでかい塔が立っている。
なんだろこれ。なんなんすか。近寄ってみると↓
『戦災記念碑』と記してあります。↓
そのまま塔のサイドへ廻ってみると、こちらには↓
平和への祈りをこめて 昭和40年建立
の一文。ちなみに、書籍『古地図で歩く福岡/メイツ出版』によりますと(参照させていただきます。ありがとうございます)
昭和20年の福岡大空襲で焼失するまで妙行寺が建てられていました。戦後野間に移転
なんだそうです。ということはですよ!?
大乗寺が移転する前までは、この場所は大乗寺と妙行寺が隣り合っており、さらにその奥には『櫛田神社』が鎮座していたという形になります!?よね。ふーん。
といったところで、公園での休憩はおしまい。体力が回復しパワーが一層みなぎってきましたので
元気いっぱい中州の街を走り抜けます。歩くんだけど。散策の続きは次回に!
【冷泉公園】
福岡市博多区上川端町7-109