梅頭とか牛頸とか体のパーツを使った地名【梅頭窯跡】
前回の続きです。↓
前回はといいますと、福岡県大野城市にある【上大利水城跡】を訪ねたお話をしてきました。↓
そこへの道すがらに、ちょっと気になる大きな池を発見していましたので、今回はそちらを訪ねてみたいと思います。こんにちは。↓
ちなみに前回通り過ぎた、ホームセンター「ハンズマン」隣りにある池は『日の浦池』といってこんな雰囲気。↓
『日の浦池』のさらに奥には『仙頭ヶ浦池』なる池もあって、この界隈はもうイケイケ状態である。池だけに。↓
さてここでいまいちど、そばの案内地図をチェックしておきます。↓
すると左下のところに【梅頭窯跡】と記してあって、【三兼池】の文字。気になる池というのはこの【三兼池】のこと。
ではさっそく向かいましょう。
福岡筑紫野線の大きな通りを向いへ渡ると、↓
通りを渡った先の案内板に【三兼池・日の浦公園】と記してあります。池を含む一帯が、通りを挟んでそれぞれ公園になっているみたい。そして【三兼池公園】の方には窯跡も保存してあるらしい。↓
まずは【三兼池公園】園内を、ぐるっと一周廻ってみることにします。↓
池のそばって雰囲気があって良い感じ。
でも、虫が多い季節は大変そう、とか色々考えていると、↓
みるからに「ザ登り窯」って感じのフォルムをした建物を発見。↓
覆屋の中には入れないようなので、外から鋭い視線で室内をのぞく著者(私)。↓
説明書きがそばにあったので、読んでみるとこうありました。↓
牛頸窯跡群は、6世紀中ごろから9世紀中ごろにかけて操業された須恵器を焼く窯跡群。須恵器・瓦・ヘラ書き須恵器・陶棺・瓦塔などが作られました。
窯群は大野城市上大利から牛頸を中心に春日市・太宰府市の一部を含む4×4.8キロの範囲に渡ります
写真だと分かりやすい。↓
『牛頸窯跡群』は西日本最大規模の須恵器窯跡群だとされており、↓
奈良時代から平安時代にかけてこの地で作られた須恵器というのは、大宰府で使うための食器だったと。↓
こちら【梅頭窯跡】はというと、その『牛頸須恵器窯跡』の一部であり、山の斜面を利用してトンネル状に掘った『地下式窖窯(あながま)』とよばれるものなのだ!全長は約11メートル。
また、窯内からは刀などの副葬品も出土しており、このことから、窯の操業が行われなくなった後は「墳墓」に転用された、と考えられているのだそう。↓
ここからさらに池の奥へ歩いていくと、そこには『溜井の碑』や『三兼池橋』なんかもあって、散策心に火が付きます。池の周囲にはぽつりぽつりと釣り人の姿も。
あれ!?ということはですよ。古代の人々もこの池で魚釣りとかしてたのだろうか。そしてついついポイ捨てなんかしちゃって。↓
そしたら古代人リーダーに「ごみは持ち帰りましょう」とか言って注意されてたのかもしれない、と思ってたら↓
この【三兼池】が整備されたのは、明治時代のことなんだそうです。
【梅頭窯跡】
福岡県大野城市上大利5丁目17-1