大飢饉は恐ろしいから勘弁して【川端飢人地蔵尊】

前回の続きです。↓

前回はといいますと、福岡市博多区の川端商店街界隈をブラブラ徘徊し、なんだか疲れたなというタイミングで

そばにある『冷泉公園』にて、一休みしたのでした。こんにちは。

さて十分に休憩して、身体中にパワーがみなぎっていますので、今回も元気に歩きまわりたいと思います。

商店街を『櫛田神社』まで進んで↓

そこから今度は博多川の方へ向かってみます。↓

すると、博多川に『水車橋』が架かっているので↓

アンニュイな雰囲気で『水車橋』を渡ります。↓

ちなみに『水車橋』という名前は、かつてこの一帯にあった菜種畑の菜種から油をとるための「水車」があったことが由来、

 

なんだそうです。

その橋の上から南側を望むとこんな景色。一個飛んで『中洲新橋』なんだけど、目の前の橋の名は!?ご存じですか。↓

そしてこっちが北側。↓

おやあの白くて小さな建物はなんだろう。さっそく訪ねてみますよ。こっちじゃなくて↓

こちらの川沿いへ。↓

振り返ってみると、こんな風景。右奥の先には巨大商業施設『キャナルシティ博多』の姿を確認できます。そしてその手前に『水車橋』。↓

橋の上から見えていた白い建物は【川端飢人地蔵尊】だそうで、↓

離れたところからの全景はこんな具合。『福博88ヶ所第34番礼所』とありました。↓

さっそくじりじり近寄って、↓

どうも失礼します。

お堂の中にはお地蔵さまと、↓

由緒書きがあって、↓

読んでみるとこうありました。↓

【飢人地蔵尊】(川端)は上川端町と東中洲の一角をつなぐ水車橋畔に祀られています。享保17,18,19年のいわゆる『享保の大飢饉』には幾多の惨話悲話がある。開闢以来の筑前の大凶麦。主因は虫害、干害、水害、疾害。筑前では96000人の餓死者病死者を出した。当時の博多の人口の約3分の1が死亡。亡くなられた人々の施餓鬼供養を行っている

とのこと。

 

たしか以前訪ねた、福岡市中央区警固地区にある『味噌喰地蔵尊』(↓)そして

福岡市中央区の『南公園』園内(↓)にも

『飢人地蔵尊』がありました。このように、あちこちで祀られる「地蔵尊」の存在自体が、大惨事の恐ろしさを後世に伝えています。

さて、もう少しだけ中洲を歩いていたいので、このまま川に沿って北進してみたいと思います。

お話の続きは次回に。よろしくお願いします。↓


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【川端飢人地蔵尊】

福岡市博多区中洲2丁目8-33