硬くて丈夫で水漏れしません【赤井出古墳 / 須恵器】
つい先日のこと。大野城心のふるさと館にて「須恵器」をテーマにした展示が行われていま(す)したので、さっそく訪ねてみたんです。
写真撮影可ということで、そっと静かにバシバシ撮っていたら(誰もいないタイミング)
展示の中にふとこんな説明書きを見つけて、思わず、あうぅっと声が漏れたのでした。↓
赤井手古墳!!知ってるよ!!もちろん皆さまも聞き覚えのあることでしょう。
そうです。そうそう。
ほんのついこの間、ふらりふらりと吸い寄せられた、↓
あの「竹ノ本団地給水塔」の、
すぐ隣にあった「赤井出古墳」じゃんか。これは運命感じずにはいられない!こんにちは。↓
「赤井出古墳」を知らないって方にも、復習を兼ねて、「赤井出古墳」を訪問した当該記事の関係箇所から、ざっくり参照しておきます。↓
主に弥生時代から古代にかけての集落跡や墓地が重なり合った複合遺跡。特に弥生時代のものとして、鉄斧などの鉄器を作った炉の跡やガラス勾玉鋳型、青銅器の鋳型など重要な発見が。高度な技術を誇った工人が想像されます。現在は宅地として開かれてしまいました
須恵器の文字はなかったけれど、今回「赤井出古墳」では須恵器(器台・子持ち壺他)も発掘されていたことを知りました。では先述の展示物(のうち2つ)に関する説明書きを読んでみたいと思います。↓
器台。器をのせるための台で子持ち壺がのせられていました。上の鉢状の部分と下の脚の部分に波状の模様。脚に複数の透かしをあけて装飾
次に子持ち壺について↓
本体の壺に5つの小さな壺を取り付けた特殊な須恵器。小さな壺はそこに穴が開いており、それぞれから液体を注ぐことができたのでしょう
だそう。また、
「赤井出古墳」自体についての説明書きもあって、↓
赤井出古墳では、ほぼ当時の状態を保ったまま、たくさんの特殊な須恵器が見つかり、死者を送り出す儀式の一場面を伝えてくれる。儀式の主役は「器台」。器台の横には保管用容器「脚付壺」、液体を入れる「提瓶」。死者に食べ物や酒を供えたのかもしれない
とありました。儀式!特殊な器!ああロマンあふれだすワードが散りばめられている!
でこちらが「脚付壺」。↓
「提瓶」。↓
それはそうと、そもそも須恵器とはいったいなんなのか。話はまずそこからでしょう。そこで展示室に記されていたお話から参照させていただきます。↓
1600年ほど前、朝鮮半島南部のやきもの職人が渡来。これまでの日本の土器作りにはない、1000度以上の高温で焼き上げる「陶質土器」は、硬く丈夫。日本でも須恵器が作られるようになりました。九州の須恵器生産の中心は牛頸須恵器窯跡
※以前訪ねた、牛頸須恵器窯跡群梅頭窯跡のお話はこちらで!↓
また粕屋郡須恵町の『須惠町立久我記念美術館』を訪ねた際には、↓
須恵器と須恵焼きは別物だよっていう学びがありました。といったところで、
引き続き須恵器の展示を見ていたら、今度はこんな説明書きを発見!!↓
薬師の森遺跡!!乙金地区!!疫神!?
お話は次回に続きます。よろしくお願いします。
【赤井手遺跡】
福岡県春日市弥生6丁目2