遺跡ばっかり【竹ヶ本遺跡赤井手遺跡大南遺跡大谷遺跡】

前回の続きです。↓

前回はといいますと、『奴国の丘歴史資料館』へ向かう道すがらに見かけた給水塔の、

その怪しくも力強い姿に誘われて

ふらふら竹ノ本団地へと吸い寄せられたのでした。こんにちは。

団地に聳え立つ給水塔そばに案内板が立っている。そして、ここは【竹ヶ本遺跡・赤井手遺跡】ですよ、とか言っている。

は!?なにごと!?とりあえず、説明書きを読んでみたいと思います。まずは竹ヶ本遺跡について。↓

昭和36年、県営住宅の建設に伴って調査された遺跡。弥生時代から古墳時代にかけての集落跡。30軒あまりの竪穴住居跡などが発見。弥生時代には丘陵の西側斜面に、大溝を掘った環濠集落であったことが分かっています

続きます。↓

このような集落が谷を隔てていくつもの丘陵上につくられていたよう。平成2年に行った東側丘陵の調査では、青銅器の鋳型や水晶製の飾り玉が見つかっています

次は赤井手遺跡について。↓

主に弥生時代から古代にかけての集落跡や墓地が重なり合った複合遺跡。特に弥生時代のものとして、鉄斧などの鉄器を作った炉の跡やガラス勾玉鋳型、青銅器の鋳型など重要な発見が。高度な技術を誇った工人が想像されます。現在は宅地として開かれてしまいました

とありました。(※春日に見つけた古のガラス工房跡のお話はこちらで!↓)

そういえば、向こうの森に階段があって、遺跡への入り口らしき扉が見えています。↓

そこでさっそく近づいてみたところ、

扉には鍵がかかっており、遺跡内へ入ることはできないみたい。

扉を越えた向こうには、また別の案内板が立っているのに!読んでみたいのに!入れそうな雰囲気はあるんだけど!

じゃあ別のところに入り口があるとか?と思って、

 

遺跡の周りをぐるぐるぐるり1周歩いてみたけど、他に入り口は見つからず。残念。

後ろ髪を引かれながら、遺跡をあとにし、またブラブラ歩き始めます。

するとどこだか知らない通りの脇に、再び案内板を発見ですぞ。

元気いっぱい声に出して力強く読んでみたいと思います。↓

大南遺跡は三方に突き出た丘陵上に造られていました。丘陵の中段にV字溝を巡らし、丘陵上には弥生時代中期の円形住居跡8軒、後期の方形・長方形住居跡94軒が密集して発掘。遺跡全体では200軒近くの住居跡が考えられます

続きます。↓

大谷遺跡は大南遺跡ととなりあわせの集落・墓地遺跡。(現在の大谷小学校敷地)。遺跡は丘陵上に住居跡67軒、甕棺墓8基、貯蔵穴が出土。古墳8基および江戸時代の墓も。出土した中細銅矛鋳型は飯塚市立岩遺跡の出土物と類似

とありました。春日市界隈っていう場所は、なんだかどこもかしこも遺跡だらけといった趣きです。

といったところで、それではいよいよ当初の目的地『奴国の丘歴史資料館』へ久しぶりに向かってみると、ほら。

まあ、こういう時はだいたい休館日つって、世間の相場は決まってるものです。

完。


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【竹ヶ本遺跡・赤井手遺跡・大南遺跡・大谷遺跡】

福岡県春日市弥生6丁目2

福岡県春日市大谷4丁目1