竹藪奥にはマムシと石室の入り口あるみたい【金武古墳群】
前回の続きです。
前回、【金武古墳群】を訪ねてみようと福岡市西区の金武地区までやってきました。
そして金武の交差点から西へ向かってゆるやかな坂を上り、
そこからさらに小路に入ったところに、↓
『結城兵部少輔之墓』を見つけたのでした。
では続きます。『お墓』のすぐ先には田園風景が広がっており
田んぼの向こうに案内板が見えますので、さっそく向かってみたいと思います。
田んぼの脇をそろりそろりと歩いていって
そしたらなんかこんなの出てる。まじ!?まじで!?マムシで!?
しかも奥は竹藪じゃん。これ出ちゃうな。むしろ出てこいや!とかいっちゃって。
じゃあドロップアウトで。オーディエンスで。テレフォンで。フィフティフィフティで。
とにかくホントに怖かったので行きませんでした。許して欲しい。代わりにお頼み申すう。(グーグルマップの口コミによりますと、竹藪奥には石室の入り口があって見学出来るんだそうです。気を付けて!グッドラック!)
だけど朗報もお伝えしたい。そばに立つ説明書きについては↓
おびえつつもしっかり読みましたので、安心してください。↓
金武・吉武にある金武古墳群は古墳時代後期(6世紀中ごろから7世紀)の群集墳で、26支群、147基の方墳で形成されています。これらは早良平野の西南部の日向川によって形成された扇状地を境に北側の群と南側の群に大別。
続きます。↓
【夫婦塚古墳】は南側の群にあり、東西40mを隔てて寄り添うように並立していたことから、この名が。1号墳は原型をとどめず。2号墳には径30m高さ4.5mの墳丘に巨石で築かれた横穴式石室があり(全長11.5m)、長方形の奥室は各壁とも花崗岩の一枚岩で築かれています。石室からは須恵器高坏、武具や馬具などの鉄製品、銀張りの耳飾りをはじめとする装身具が出土
とのこと。こちらは周辺図。ここら一帯が古墳群といった様子。↓
もう少し進んでみると、やや古めの案内板が立っていましたので↓
こちらも読んでみましょう。『夫婦塚2号墳』。↓
6世紀後半(1400年前)に作られた古墳時代後期の直径25mの円墳。墳丘の中には死者を葬る横穴式石室があり、羨道、前室、玄室と続く複室構造。高さ3.5mもの巨大な花崗岩を組み合わせて作られたこのような古墳は、数少なく、早良平野最大級
そして↓
古墳の存在は江戸時代『筑前国続風土記附録』にも記されており、以前は二つの古墳が寄り添っていたので夫婦塚の名称に。石室構造等から同時代のこの地域における有力な首長墓と考えられます
なるほど。1号墳も2号墳も同じ首長ってこと!?もしくは別の人!?夫婦じゃないのに夫婦扱いは!?困ります!?
とにかくここ、っていうかこの全体が2号墳で、↓
そして辺りはこんな雰囲気。↓
といったところで、見学はおしまいです。↓
ついでにヤマモモも探してみたんだけど見つからず。ももも。
ほら、だってマムシとか言うからさあ。完。
【夫婦塚古墳】
福岡市西区金武1629