劇団光明座の名前の由来はいったい【明光寺】

福岡市博多区の吉塚地区に【明光寺】を訪ねましたので、そのお話をしたいと思います。

吉塚地区を走る『吉塚2000年通り』から少し住宅街へ入っていったところに【明光寺】の山門が現れます。【大宝山明光寺】。曹洞宗のお寺。

以前、福岡市中央区の平尾地区にある【野村望東尼山荘跡】を訪ねた時に知ったことなんですけど

ここ【明光寺】は望東尼が剃髪して尼となったお寺であり、境内には彼女のお墓があるそうなんです。

また、書籍『古地図の中の福岡・博多』によりますと(引用になります)↓

石堂川沿いにあった『旧蓮池町』(今の中呉服町)は寺町といい、広大な境内をもった12軒の寺が道を挟んでいました。そのうち【明光寺】に限って表門が東町にありました。

明治43年(1910)に市内電車が開通することになり、【明光寺】は吉塚へ移転することに

という記述がありました。つまり、電車の線路がお寺の境内を貫通することになったため、【明光寺】は旧蓮池町から堅粕の地へ移った、ということみたい。

 

ちなみに【明光寺】が旧蓮池町にあった時代には

『善導寺』の隣に位置していたのだとききました。(↓博多区にある善導寺)

では境内へお邪魔します。入るとすぐに『慰霊の塔』があって↓

そして鐘楼。↓

こちらは楼門。↓

どうしてここに望東尼のお墓があるのかというと、彼女が嫁いだ野村家の菩提寺がこちらのお寺だったからとか。↓

『榮姫遺髪供養塔』の案内。↓

本堂で↓

お堂。↓

そして「豊川稲荷」。↓

こちらへ進みます。↓

『三十三観音』があって↓

『野村望東尼のお墓』。↓

そして、この右か?左?が『榮姫遺髪供養塔』なるものらしく↓

そばに説明書きがありましたので読んでみると↓

榮姫は徳川家康の姪で黒田長政の正室。長政との間に3男2女をもうけた。終生、江戸に居続けた

その榮姫の遺髪が供養されているのがこちらの塔。

窓がかわいくないですか。↓

ちなみに書籍『博多 旧町名歴史散歩』によりますと↓

吉塚へ移ってしまった【明光寺】の跡地(今の中呉服町辺り)には、1926年に劇場『光明座』が開場したのでした

とのこと。明光からの光明!!


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【明光寺】

福岡市博多区吉塚3丁目8-52