秘密は秘密のままでいい【興宗禅寺】【寺塚穴観音古墳】

福岡市南区寺塚。

野間大池からゆるやかな上り坂を進んで【興宗禅寺】を目指します。

この曹洞宗のお寺は【穴観音】と呼ばれていて、また境内には古墳があるらしいんです。はて、いったいなんぞやと。

お寺の入り口そばには案内板。

参道を通って

いざ境内へ向かいましょう。

【興宗禅寺】の本堂。

奥には丘陵があって

その長い階段を上ると

拝殿っていうんですかね。↓そこを通り抜けたら

墳丘があります。

直径は約20mと考えられていて、横穴式石室。1400年前の古墳時代後期の円墳だそう。

巨大な岩で造られた石室。

中に入ってみるとこんな具合。

真っ暗闇の中、奥の方にぼんやりと現れる3体の姿。

壁に刻まれているのは、中央が「阿弥陀如来」、そして左が「観音菩薩」で右が「勢至菩薩」。

彫られた詳細は不明とのこと。通路横の壁には仁王像の姿も。

こうしたことから、ここは【穴観音】と呼ばれているそうです。

【興宗禅寺】の由来は

この寺塚一帯は百塚とよばれるくらい古墳がたくさんあった土地でしたが、1代目藩主である黒田長政による福岡城築城のために、その多くが採石され、潰されました。

けれど、長政にお告げがあったとかなかったとかで【寺塚古墳】は供養のために残されたのでした。

2代目藩主忠之によって拝屋が建てられるも、のちに崩壊。1693年に拝屋を整備してその下に寺を建てたのがこちら【興宗禅寺】。

とのこと。

境内にはなぜか赤穂四十七士のお墓も。↓

こちらは昭和10年に篤志家が私財を投じて作ったものだそうで。

どういった繋がりなのかは、わかりませんでした。



東京の泉岳寺にある四十七士の墓をそっくり模して再現してあり、毎年12月14日の討ち入りの日には「福岡義士祭」が行われるとのこと。

また、この【興宗禅寺】と『福岡城』は秘密の抜け道として地下道でつながっていた!?というロマン溢れる言い伝えもあるそうです。

福岡城との位置関係はこんな具合。

ありえるのかなあ。まあ、あって欲しいですけど!!

そしてさらにさらに【興宗禅寺】にまつわるお話が。

1877年に起こった『福岡の変』(福岡藩士族の反政府暴動)の折、この穴の中で士族たちによる謀議が行われたといいます。

私は思うんですよ。他にも謀議に適した場所はあったんじゃないかと。だけども、あえて!の穴の中だったんじゃないかと。

そういう秘密めいたムードが穴にはあるから。


【興宗禅寺】

福岡市南区寺塚2丁目22-11