聖一国師は宋からなんでも持ち帰る【承天寺02/02】

前回の続きです。↓

前回、福岡市博多区の【承天寺】を訪ねました。そして南西側から山門をくぐり、境内を分断している市道「承天寺通り」までやってきたのであった。

今回は、その【承天寺】の分断された北東側部分を見学します。こんにちは。

さっそく通用門から境内へ入ると

門を入ってすぐのところに、説明書きがずらずらっとありました。↓

其々チェックしていきますね。まずは左から!↓

『饂飩・蕎麦発祥の地の碑』。説明書きを読んでみますと↓

仁治2年(1241年)、中国の宋より帰国した聖一国師は、羹、饅、麺の製法とともに、製粉技術も日本に持ち帰りました。羹は羊羹、饅は饅頭、麺は饂飩・蕎麦等のこと。この碑は博多の地における聖一国師の偉業を後世へと伝えるもの

次は真ん中です。↓

『御饅頭所の碑』。同じように説明書きから参照すると↓

仁治2年(1241年)、宋より帰国した聖一国師 が、茶店に立ち寄ったところ、主人に歓待を受けました。そこで聖一国師は、南宋から持ち帰った饅頭の製法を教え「御慢頭所」の看板まで書き与えました。これにより博多の地が饅頭発祥の地。看板は現存しており、東京の「虎屋」が所蔵。古い複製は博多松屋に伝えられています

そして最後に右の説明書き。↓

『満田弥三右衛門の碑』。↓

鎌倉時代、聖一国師とともに宋に渡った弥三右衛門は、6年後に織物・じゃこう・素麺・箔・朱の製法を日本に持ち帰りました。織物技術のみ家伝とされ、独自の技法を加えながら現代に伝わっているのが「博多織」。江戸時代の福岡藩初代藩主黒田長政が、幕府への献上品としたことから『献上・博多織』と呼ばれるようになりました

とのこと。いやはや聖一国師すごい!功績が半端ない!宋からなんでも持ち帰る!

 

さらに境内を先へ進むと↓

開放現禁!KEEP OUT!と記されており、どうやらこちらが『方丈門』のよう。この先に『洗濤庭』そして『川上音二郎』のお墓があるんじゃないかな。そんな気がします。↓

そして『庫裏』である。静かできれいで落ち着いた境内。↓

『博多祇園山笠』という博多の行事もまた【承天寺】が発祥の地。聖一国師が疫病退散を祈願して聖水を撒きながら街中を回ったのがその由縁だそうです。さらに!

全国各地で毎年行われている風習『年越しそば』は

謝国明が大晦日に貧しい人々へ蕎麦をふるまったことが始まり、とのこと。福岡が起源だったんですね。

サンキュー謝国名。おわり。


【承天寺】

福岡市博多区博多駅前1丁目29-9