苔むした墓石のそばに老梅【隈麿公奥津城】

たしか昨年の年末あたりのことなんですが

福岡県太宰府市の朱雀地区にある【榎社】を訪ねたお話をしました。こんにちは。↓

かつて菅原道真公は、左大臣の藤原時平による政略で右大臣の職を解かれ、大宰権帥として大宰府の地へ左遷させられました。↓

そして903年に亡くなるまでの2年間を、現在【榎社】がある場所に在った居館で過ごしたよ!?といわれています。↓

その2年間は道真公の子どものうちの二人の子と一緒の生活で、大変困窮を極めた暮らしだったそうです。

 

二人の子どもとは、息子(弟)の隈麿5才と娘(姉)の紅姫7才。大宰府へ左遷された時の年齢。

隈麿は大宰府へやってきた翌年の902年に病に罹り急逝。その翌年の903年には、道真公が亡くなってしまいます。

結果として一人取り残された紅姫ですが、彼女についてのその後の詳細は不明だそうで、一説によると福岡県糟屋郡の篠栗の地で非業の死を遂げたなんてお話もあるとかないとか。

そんな紅姫を祀る『紅姫の供養塔』が【榎社】の境内奥にあって↓

紅姫の弟である隈麿のお墓は【榎社】から近くの、とある場所にあるよと聞きました。そこで今回、さっそく訪ねてみました、のお話です。↓

【榎社】から西鉄大牟田線の線路をみて左へ進み、二日市の住宅街へ入っていくと↓

通りの左手にお地蔵さまが。↓

そして通りの右手に案内が出ています。【隈麿公のお墓】。分かりやすい!!↓

さっそく上ってみましょう。↓

広い境内の入り口に納骨堂があって、奥のほうに説明書き。↓

読んでみると↓

「隈麿公奥津城について」。苔むしたその墓石のそばには、六弁の花を開く老梅があります。尚、近くの路傍には紅姫の墓と伝えられる碑があります

とのこと。

【隈麿公奥津城】の「おくつき」というのは「お墓」の意。

お墓の隣りには、六枚の花びらをつけるという梅の古木。↓

説明書きによりますと、姉の紅姫の供養塔(墓)が近くの路傍にある、とも記してありました。それはつまり【榎社】境内の他にもう一ヶ所あるってことっぽい。

 

だから訪ねてみたんです。聞いてください。でもそのお話は次回に。よろしくお願いします。↓


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【隈麿公奥津城】

福岡県太宰府市朱雀3丁目8-27