武士が住む二十八谷の中の井原ヶ谷【南公園01】
福岡市中央区の桜坂地区にある、地下鉄『桜坂』駅そばを通りかかりましたので、じゃあ動物園でも寄っていくかと思い立ったのでした。
『福岡市動物園』は、遠い昔に訪れたっきり。行き方もなにもかも曖昧ですが、なんとなく雰囲気で向かってみたいと思います。地図見ろよって意見は、なるほどって感じです。こんにちは。
それでは出発です。城南線を越えて、↓
コンビニ脇の坂道を上っていきますよ。
こちらの教会は、太古の昔からありますよね!?↓
キュイーンってなっている坂道を、
しばらく道なりに進んでいくと、
『馬屋谷』という名のバス停を発見。
名前で推測してみるならば、↓
馬屋のある谷
帰宅してインターネットで検索してみると、
下級武士が住んでいた谷の中に馬を飼いならすための馬小屋が並んでいた。そこからのネーミングと思われる(引用)
という解説が見つかりました。ありがとうございます。
ちなみに、このバス停でバスを待ってバスに乗ればすぐ動物園着くじゃん?と思ったけれど、
快晴の気持ちが良い日ですので、歩いていきたいと思います。
さらに坂道を進んでいくと道が二手に分かれている。どっちだったっけと目を凝らしていると
『動物園』の案内を発見。良かった!無事に到着です。
ふいに思い立っての訪問なので、こればかりは仕方がありません。事前の下準備は大事ということ。
でもこのまま去りゆくのも残念無念。とりあえず、分かれ道の左手に出ていた案内図を見て心を落ち着かせていると↓
現在地のすぐそばに【南公園】の文字が!よし【南公園】を散策してから、解散することにしましょう。↓
左の通りを少し進んで、さらに左へ逸れる道へ向かう。↓
すると【南公園】の看板が出ており
そこから先はすっかり森の中っていうか山の中っていう雰囲気です。
さっそく案内板があって↓
読んでみると↓
こんな具合。↓
古くは「大休山」とよばれたこの一帯。この場所から奥へ進むと飢人地蔵尊があります。享保17年(1732)から2年間にわたり筑前の国(現福岡地方)を大飢饉が襲いました。飢饉で命を落とした方々の霊を供養するため、地域住民によって飢人地蔵尊が建てられました
現在地より徒歩3分。寄ってみましょう。↓
綺麗に整備された山道を進むと、「地蔵尊」とその説明書きがあらわれて↓
まず説明書きを読んでみると↓
こうありました。↓
飢人地蔵菩薩の遺跡。この遺跡は大飢饉で餓死した人々の霊を慰めるために建てられた供養塔と地蔵菩薩。この場所は福岡城南面の丘陵地帯防衛の任務を持った黒田藩の武士が住んでいた二十八谷の中の井原ヶ谷
二十八谷!?先ほど通り過ぎたのは「馬屋谷」でした。さて説明書きは続きます。↓
飢えた百姓たちが城下の魚町浜に建てられた藩の救い小屋に一杯の粥を求めて辿り着いた時に倒れたであろう、その悲しみを悼み飢人地蔵菩薩を建立
以前訪ねた中央区警固地区の『味噌喰地蔵尊』にも、同じような飢饉のお話がありました。↓
では元の場所へ戻って、散策を続けます。↓
ここで道は二手に分かれるんだけど、どっちに行っても大丈夫。どっちかっていうと左のほうが楽でした。結局すぐに合流するから。安心して!信じて!疑わないで!
すると再び案内が出ており、このまま進めば『大休山頂上』とのこと。↓
ざっくりした案内図の、その先へと進んでみると、↓
広場の端にベンチがあって、それから階段があって↓
奥のところに立派な碑が立っています。↓
近づいてみると『中山紀念碑』と記されているんだけど↓
説明書きや案内板は見当たらず。↓
そこで書籍『古地図で歩く福岡』から少し参照させていただきます。↓
南公園に建てられた孫文生誕100周年碑。孫文は何度も来日し福岡も訪れた。一時、頭山満の玄洋社との関わりも深く、福岡の華僑によって碑は建てられた(引用)
とありました。なるほど。ありがとうございます。
つまり、孫文の日本名である「中山樵」から『中山紀念碑』ということのよう。
その『中山紀念碑』のすぐそばには『福岡市民のことば』なる碑があって↓
階段があって↓
階段を上った先には!?なんと!?なな、なんと!!
続きは次回に!よろしくお願いします。↓
【南公園】
福岡市中央区南公園1-1