マンテルズボンに人力車【川上音二郎像】

巨大商業施設『キャナルシティ博多』を通り過ぎて

そのまま川端通商店街へと向かったのであった。

そして商店街を抜けると

正面には商業施設『博多リバレインモール』があるんですけど

その手前の、商店街出入口すぐのところに

こんな像が立っているのを見つけたのであった。こんにちは。

ノリノリじゃんとか言って、とりあえずバシバシ写真を撮りまくってみたんです。表情に渋みがある!いい顔!こっち向いて!とか言って。それはいいんだけど

ん?あなたどなた!?っていうのは、ちょっと失礼すぎますね!

こちらは、川上音二郎さん。そう記してあるから。そして一緒に刻まれた文章を読んでみると

オッペケペー節。権利幸福嫌ひな人に自由湯をば飲ましたい オッペケぺ オッペケぺ オッペケぺッポー ペッポッポー
堅い裃角取れてマンテルズボンに人力車 いきな束髪ボンネット 貴女や紳士のいでたちで 外部の飾りはよいけれど 政治の思想は欠亡だ
天地の真理がわからない 心に自由の種を蒔ァ オッペケぺ オッペケぺ オッペケぺッポー ペッポッポー

え待って。なんです!?オッペケぺ!?英語は苦手なんです。すみません。

さらに続きます。↓

博多対馬小路にて出生。明治20年代、自由民権運動をからまぜたオッペケペー節で人気を博す。夫人の貞奴とともに日本演劇史に大きな足跡を残す

とのこと。不勉強な私でもそのお名前くらいは。まじまじ。

ですが、なに系の人なの!?と問われても答えられません。

そこでまずwikipedia『川上音二郎』から詳細を参照してみます。

福岡藩の豪商川上専蔵の子。1878年(明治11年)、家を飛び出し東京へ。落語家の桂文之助に入門、浮世亭◯◯(うきよてい まるまる)と名乗った。『オッペケペー節』(三代目桂藤兵衛作)を寄席で歌い大評判となる。書生芝居を旗揚げ。人気芸者の貞奴と結婚。1899年(明治32年)渡米して現地で興行を行う。博多区千代に洋風劇場の「博多座」(初代)を建設。享年48。当時博多駅が近くにあった承天寺に葬られる

つまり、彼は福岡出身の偉大な興行師であり芸術家なのであった。

は!そういえば。今思い出したんで聞いてください。↓

遠い昔のことですが

川上音二郎の生誕の地を『沖濱稲荷神社』に訪ねたことがありましたよ!すっかり忘れてました。↓

そこには説明書きがあって

読んでみると

博多の商家に生まれた川上音二郎は自由民権運動に湧く世の中を風刺した「オッペケペー節」で売り出し書生芝居で人気を博しました。パリ万国博覧会で脚光を浴びた音二郎一座は録音盤を制作し、これが日本人初のレコード録音と言われています

こりゃすごい。偉人である。

また、以前訪ねたことのある

福岡市博多区『承天寺』(↑)の説明書きには

墓所には新派劇の川上音二郎の墓があります

といった具合。


【川上音二郎像】

福岡市博多区上川端町12