たまたま偶然ちらっと見えたお墓【大凉山少林寺】

先日、福岡市中央区の親不孝通りに【少林寺】を訪ねましたので、今回はそのお話です。

昭和通りを西へ進み舞鶴1丁目の交差点から北へ曲がる。

ここからさらに北へと延びる通りが『親不幸通り』。

その『親不孝通り』をしばらく進むと、通りの右手にお寺の入り口が見えてきます。↓

こちらが今回の目的地【少林寺】。↓

浄土宗である。↓

毘沙門天がお出迎え。どもども。↓

では山門をくぐって↓

失礼します。↓

今回どうしてこちらのお寺を訪ねたのかといいますと↓

先日の『月形洗蔵幽閉地』(↓)訪問の際に↓

洗蔵のお墓が【少林寺】にあると聞いたからなんです。

そのお墓はというと、お寺に入ってすぐ左のところ。

石碑が3つ並び、その一番右端に『月形先生墓』と記してありました。

さて、しっかりご挨拶も済みましたので、境内を見学することにします。

本堂。↓

そばに説明書きがあって↓

読んでみると↓

慶長9年福岡藩主黒田長政公により、広大な寺地に本堂・開山堂・観音堂・霊堂・子院として性雲院を建立。長誉恵順和尚を開山の僧とし、永長山昌林寺と号した。

徳川家康の養女、長政公夫人(栄姫)が江戸で没され、遺髪を当寺に埋葬。菩提所となり 山号も夫人の法名の大凉院からとって大凉山。後に昌林寺も少林寺に

続きます。↓

昭和5年の火災、昭和20年の福岡大空襲で共に建物一切の寺宝が焼失。山内には長政夫人の五輪塔・長政の二女の笠付角柱塔・綱之等の墓塔がある

さらに右奥のところに説明板が。

なんだろうと思って読んでみると↓

黒田家ゆかりの墓所。境内には長政夫人(栄姫)・長政の次女(徳姫)・三代藩主光之の長男(綱之)・十一代藩主長溥の四女(種姫)・三代藩主光之の七男(正太郎)・六代藩主継高の側室(逸姫)・三代藩主光之の側室(吉良)の墓石がある

続きます。↓

黒田綱之は光之の嫡男でありながら突然廃嫡され、屋形原(南区)に幽閉された。綱之は死に臨み「自分の願いはかなえられず。私の墓に真心をこめて自分に祈るなら、願いを叶えてあげよう」と言い残した

そうしたことから↓

多くの人が綱之の墓に参詣、願い事をしたのだった。その際、墓を削り取って舐めたり煎じて飲んだりしたので1/4の高さになった

ちなみにお墓は境内奥の隔てられたところにあるため、見学は出来ないとのこと。これ残念。

お寺をあとにして、たまたまお寺の裏側を通ったら、そこは駐車場になっており↓

そこからたまたま、お墓がちらりと見えました。

写真と見比べてみる。ちら見えしているのは、おそらく長政夫人(栄姫)の五輪塔のよう。完。


【大凉山少林寺】

福岡市中央区天神3丁目6-14