子どもの頃の記憶は案外疑わしい【香椎宮03】
前回の続きです。(→長男も長寿パワーを受け継いでいたのか【香椎宮02】)
前回私は、【香椎宮】境内から見て通りの向かいに鎮座する『朽瀬神社』を訪ねたのであった。↓
それではさっそく、今回もはりきっていきたいと思います。『朽瀬神社』前から再び参道を渡って【香椎宮】へ。↓
もう少しで創建1300年!!↓
鳥居をくぐって↓
境内へお邪魔します。↓
入ってすぐのところに『弁財天社』。↓
家内安全、商売繁盛。↓
そしてこちらは菖蒲池。↓
振り返るとこんな感じで↓
社殿。↓
そばに由来書きがあって
読んでみると↓
香椎宮八所の一つとして、香椎宮創始の昔よりお祭りしてありました。
とのこと。それでは参道に戻ります。
こういうのだとか↓
こういった歌碑が立っていたり。↓
こちらはちょっと小さ目。↓
参道先には立派な鳥居、その右手には休憩所。↓
そばに大きな案内板が立っているので、チェックお願いします。↓
ちなみに私が子どもの頃、年越しの際にこちら【香椎宮】を訪れたことがあって、その時は夜中に甘酒がふるまわれていた気がするんですが!!
でも私の記憶力は衰える一方なので、ふるまわれていなかったかもしれないんですが!!↓
そもそも、ほんとに来たことがあるのかさえはっきりしないけど、まあそこは良しとしましょう。↓
では鳥居をくぐって、さらに先へ進みます。
すると、そばのところに説明書きがありましたので↓
読んでみるとこんな具合。↓
ご祭神は「仲哀天皇」「神功皇后」「応神天皇」「住吉大神」。3世紀頃、仲哀天皇は国内外を平定するため神功皇后とともに橿日宮を営まれました。当宮はこの地で没した仲哀天皇の霊を神功皇后が祭られたのが起源、とされています。
そして↓
古くは「香椎廟」と称され、朝廷や人々の崇敬を受けてきました。
また↓
享和元年(1802)に再建された本殿は「香椎造」と呼ばれ、建築様式は国の重要文化財。
とのことだそうです。さて、長くなりましたので今回はこれまで。続きは次回に!
【香椎宮】
福岡市東区香椎4丁目16-1