昭和初期とかついこないだまで磯浜【香椎宮01】
先日、福岡市東区の香椎地区に鎮座する【香椎宮】を訪ねましたので、数回に分けてそのお話をしたいと思います。
ちなみに、結構前のことにはなるけれど、私はすでに【香椎宮】を訪ねたことがあって↓
その時は、少し離れた場所にある『不老水』(↑)まで足をのばしたのであった。
つまり今回の訪問は、お久しぶりですこんにちは香椎宮、といった具合。こんにちは。↓
さっそく【香椎宮】へ向かうことにします。
西鉄貝塚線の『香椎宮前駅』から↓
すぐそばの香椎参道を歩いていきます。
向こうに見えるのは西鉄の高架で↓
その反対側にあるJRの踏切を渡ると↓
参道の鳥居があり↓
通りの右手には「香椎潟 万葉歌碑」と書かれた案内板が立っていました。さっそく寄ってみたいと思います。↓
いきなり坂道がのびていて、その先に大きな鳥居。↓
階段の先に石碑があって↓
こちらが万葉歌碑みたい。とは言ってもなにがなんだかさっぱり分かりません。↓
隣りに説明書きが立っていましたので↓
読んでみますね。↓
明治21年建立。三条実美の筆。3首の短歌が刻まれています。神亀5年(728)、大宰卿大伴旅人が香椎廟参詣の際に詠んだ「いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さえぬれて朝菜摘みてむ」。そして大弐小野老の「時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな」。豊前守宇努首男人の「往き帰り常にわが見し香椎潟明日ゆ後には見む縁もなし」
そして↓
昭和初期まで、この丘の麓まで波が打ち寄せ、丘上から潮干狩りのできる遠浅の磯浜を見渡すことが出来ました
歌碑のそばに再び鳥居が立っていて↓
さらに先の方にはなにかの建物が見えている。↓
そう、こちらの建物は香椎宮の『頓宮』なんだそうです。
『頓宮』というのは、天皇行幸時の仮の宮殿の意であり、また神幸祭で神体を乗せた御輿を一時的に休ませるところ、の意とのこと。↓
辺りの雰囲気はこんな感じで↓
磯浜はもう残念ながら見えないけれど、その代わりに西鉄電車の高架がばっちり見えました。↓
(※香椎宮頓宮下の昔のお汐井取り場のお話はこちらでも↓)
では再び参道に戻ります。↓
後ろを振り返ってみるとこんな感じで↓
目の前に立つ参道の鳥居そばにも↓
小さな案内板が。↓
読んでみたいと思います。↓
香椎宮参道は頓宮から香椎宮までの約1キロの参道。大正14年から10年毎に「勅祭」が行われています。大正14年の勅使の参向を機に大改修。「勅使道」と名付けられました
案内板に掲載されている「御神幸行列」の写真。↓
と、かつての勅使道の写真。↓
引き続き、通りに沿って先へ向かいます。
並木道ああ並木道。↓
すると右手に『香椎 薬師堂』。いざ訪ねてみますが!今回は長くなりましたので!↓
続きは次回に!よろしくお願いします。↓
【香椎宮頓宮】
福岡市東区香椎1丁目23-2