唐津街道(一部)を辿ってみた06【兜塚】
前回の続きです。
唐津街道の旅路は、はやくも新宮町へ突入。
静かにのびる郊外の道筋。通りの脇には↓
『太閤水』のお堂や↓
『夜泣き地蔵』のお堂があらわれて
なんだかザ街道って感じを思わせる良い雰囲気が続きますね、と思ったのだった。こんにちは。
では今回も先へ進みます。街道は3号線に合流。そのまま通りに沿って真っ直ぐです。
北九州市の小倉から始まる唐津街道も、だいたいおおよそこのくらいの距離でしょう。↓
とか言ってたら、あっという間に福岡市へ。↓
ここから通りを左へ逸れて↓
そして次にこの下り坂を右へ進む、というのが街道的に正解ルートなんですが↓
右折せずに真っ直ぐ進んでみると、例えば立花山登山道入り口があったり↓
三日月山ハイキングコースがあったりして↓
それはそれで楽しい景色が広がっていました。
では、先ほどの分岐点へ戻って、街道的に正解ルートを進みます。↓
浄光寺そして↓
唐原川を越え↓
塚本池を通り過ぎたら
3号線の上に架かる陸橋を越えます。
向こうが福岡方面!現代的唐津街道式光景眼前。↓
ここからしばらく下りが続き↓
下りを抜けると、今度は大きくて長くてギュイーンってなってる陸橋が目の前に。↓
その陸橋の隣りには九産大附属九州高校があって、今日も明日も、立派な学生が勉学にスポーツに頑張っている気がします。
あっちに見えるのが『JR香椎駅』。↓
さて陸橋を渡り終え↓
それから下っていった先のところで
ちらっと左を見てみると、おや!?おやおや!?朱ってるなにかが見えていますよ。なんでしょう。↓
さっそく寄ってみると入り口があって↓
説明書きがありましたので↓
読んでみます。↓
兜塚。香椎宮飛地境内。この兜塚は香椎宮のご祭神「神功皇后」がこの地で兜をお着けになったとも、この地に兜をお埋めになったとも伝えられる神域。ここにある二つの石にはこんな物語があるのだ
続きます。
享保の頃、この塚から発掘された兜の形に似た松化石を博多の医師である萩野玄庵が庭石に。玄庵の死後、子である玄伯が父の墓石にしたところ、祟りで一家滅亡。近隣みんな恐れて、再び香椎に運んだのでした。その穢れを除くため海浜(現在の香椎宮頓宮下辺り。昔のお汐井取り場)に200年置いてあったものを返したもの。もう一つは、源四朗なるものが玄庵が持ち去ったのを惜しみ、花崗岩に刻み塚上に納めたものです(香椎宮旧記)
とのこと。(※現在の「香椎宮頓宮」のお話はこちらの記事でも!↓)
では中へお邪魔して。↓
『五穀神社』『五穀神』。↓
こちらの二つの石が、件の石ですよねえ!?どっちがどっちか分からないけど。
周囲はこんな雰囲気。↓
ちなみにこの歩道を通りの向かいへ渡ってみると、そこには『鎧坂』があるんだそうです。↓
『兜塚』に『鎧坂』。ネーミングセンス。『鎧坂』のことはたった今知りましたので、残念ながら訪ねていません。機会があれば是非。↓
といったところで、今回はここまで。場所で言えば福岡市東区香椎駅前まで辿り着きました。お疲れ様でした。
次回に続く!↓
【兜塚】
福岡市東区香椎駅前1丁目26