西に飯盛山、東に室見川を望む遺跡【やよいの風公園02】

前回の続きです。↓

前回、ちょっとした気まぐれで、福岡市西区吉武にある【やよいの風公園】へやって来ました。

ここは弥生時代の大規模集落遺跡である『吉武高木遺跡』が、歴史公園としてきれいに整備された場所。

広い芝生のあちこちにパネルや説明書きが設置してあり、のんびり散策しながら歴史を勉強できる愉快な公園、それが【やよいの風公園】なのだ!

そんな園内に足を踏み入れ、ぐるり一周歩き始めたのが前回のあらすじです。

さて今回も引き続き、園内を駆け抜けたいと思います。では甕棺ロードからスタート!

「甕棺ロード」というのは↓

弥生時代中期を中心とした約200年の間にたくさんの墓が作られた場所。ここから南西に向かって墓が道のように続くから「甕棺ロード」

地図で見るとこういう具合で↓

辺りはこういう景色になっている。↓

そばに説明書きがありましたので↓

さっそく読んでみると↓

甕棺ロードVS特定集団墓。アクセサリー(装身具)や鏡など、種類豊富な副葬品を持つ特定集団墓と比べると、甕棺ロードの墓は青銅器の武器ばかり。このことから、甕棺ロードにある副葬品を持つ墓は、戦士など、特定集団墓とは役割の違う人々が葬られた!?

とありました。さらに先へ進んでみると、今度は『むかしみつけ広場』があって↓

こちらにも説明書きがありましたので↓

読んでみましょう。↓

大王や豪族たちが葬られた大きな墓を古墳といいます。弥生時代終わり(3世紀)から飛鳥時代(7世紀)まで続きました

こちらは発掘品の写真。↓

広場の通り道はここから緩やかな弧を描き始め↓

その先にはぽつんとあづま屋が見えています。その名も「まがたま館」というらしい。↓

こちらにも説明書きがありましたので↓

まあ読んじゃいますよね!?↓

「国史跡吉武高木遺跡」を含む広大な遺跡を「吉武遺跡群」といいます。吉武遺跡群は旧石器時代(約2万年前)から江戸時代(約200年前)にいたる遺跡。なかでも弥生時代前期後半(約2200年前)から中期後半(約2000年前)にかけて特徴的な墓や建物がつくられています

その期間は3つに分けられる。まず、特定集団墓の形成という「発展期」があって↓

次に大型建物の出現という「展開期」。↓

そして最後に「衰退期」が訪れる、といった具合。↓

またこちら「まがたま館」には配布リーフフレットも置いてありましたので、気になる方は是非!↓

そして飯盛山である。↓

(※飯盛山を登ったお話はこちらで!↓)


おや、どうやらこちらが公園のメインエントランスのよう。駐車場があって↓

あやしげな2匹の動物のモチーフも。↓

これってなんなんですかいったい!(大声)↓

出入り口すぐのところに公園の説明があって、↓

読んでみると↓

吉武高木遺跡は、西に飯盛山、東に室見川を望む地に営まれた弥生時代の大規模な遺跡。弥生時代中期(約2200年前から2000年前)の国(地域的なまとまり)の成立と展開を知る上で特に重要な遺跡。平成5年に国史跡に指定。多くの弥生人たちが眠るこの地で「やよいの風」を感じてよ

とありました。ちなみに!駐車場は17時までらしい(要確認)。といったところで今回はここまで。

 

散策は次回まで続きます。よろしくお願いします。↓


【PR】風の歌を聴け 村上 春樹

【やよいの風公園】

福岡県福岡市西区吉武