唐津街道(一部)を辿ってみた01【青柳宿】
少し前のことですが、福岡市東区の松崎地区を風のように駆け抜けていたことがあって
ふと小路の片隅を見てみると
そこには『わくろ石』(↑)という史跡、そして
そばのフェンスには
こんな説明書きがあったんです。
蓮華坂(旧唐津街道)。昔はかなりの急勾配の坂道で蓮華の花が美しかったのが、名称の謂れ
唐津街道か。駆け抜けているこの道は、唐津街道だったのか。
ちなみに結構前のことになるんですが、『日田街道』を福岡から甘木まで辿ったことがあって↓
それがとても楽しかったんです。そして今回のこの出合いである。
ああ街道よ再び!といったところです。
唐津街道を辿ってみたい。でも唐津街道ってなに。
まず唐津街道を辿るにあたって基本的な情報を、書籍『街道と宿場町/アクロス福岡/海鳥社』(↑)から参照させていただきます。ありがとうございます。↓
小倉から唐津城下へ至る街道が唐津街道。古代から通じていた要路である。小倉を起点に若松→芦屋→赤間→畦道→青柳→箱崎→博多→福岡→姪浜→今宿→前原→中津領深江→対馬領浜崎→唐津城下
続きます。↓
福岡城から小倉は参勤交代の道として、福岡城から唐津城は長崎警備のために利用されました。比較的静かな街道で、街道の前身は朝鮮侵略の通路に利用された豊臣秀吉による太閤道
小倉城から唐津城まで辿ることは出来ないので、その中の一部、青柳宿から姪浜までを辿ってみたいと思います。
ではさっそく、スタート地点である福岡県古賀市の青柳宿へ移動しますよ。いきます、エイッ。
っというわけで、ここが青柳宿です。536号線の信号角。住所で言うと、福岡県古賀市青柳町。ここから唐津街道(の一部)をガンガン辿って行くことになります。
ちょうど宿場入り口のところに案内板が立っていますので↓
読んでみますね。↓
豊前小倉から福岡城下を通り、唐津をつなぐ道。筑前六街道の一つで長崎街道に次いで重要なもの
続きます。↓
古くは戦国大名、茶人等が往来い利用していた道。江戸時代に参勤交代の制度が出来ると、道路沿いに民家を配し、宿駅が作られ、街道として整備されました
そして↓
以来、参勤交代や巡見使による諸国の監察、伊勢神宮への巡礼など庶民の往来にも利用されました。参勤交代では福岡藩・唐津藩の利用が主でしたが、江戸末期には薩摩藩も利用
いよいよ始まりです!!どきどきわくわく。すでに楽しいんだけど、今回はここまで。唐津街道夏景色。
青柳宿のお話は次回に続きます!↓
【唐津街道青柳宿】
福岡県古賀市青柳町