凧どこまでも揚がって【光正寺古墳】【七夕池古墳】

【勝田線】の跡を辿っていたときに

宇美町と志免町の町境でたまたま見かけた、↓

【光正寺古墳】を訪ねてみましたので(勝田線訪問と同日のこと)、今回はそのお話をしたいです。こんにちは。↓

場所は宇美町の北西部。現在は史跡公園としてきれいに整備されています。↓

公園への出入り口はいくつかあるらしく、こちらの緑道沿い入り口前には5分の1サイズの模型がありました。↓

周囲は住宅地に囲まれていて、その中にドンと誇示するかのような古墳の存在感がステキです。↓

1996年から1998年にかけて発掘調査が行われそうで、

墳丘の全長は約54m 、後円部径は約34m 、前方部長は約20m。糟屋郡内では最大にして最古の前方後円墳とのこと。

前方部2段築成、後円部3段築成。

 

それはつまり、古墳の形状が段々になってるってこと。

また、3世紀後半(古墳時代前期)に築かれた古墳であると。

こうしたことから、この【光正寺古墳】は「不彌(ふみ)国」の王墓なのではと考えられており(諸説有)、

「不彌国」というのは、『魏志倭人伝』に記述がある『倭国』(日本)の中の「奴国」の隣にあった国のことらしく、

また、不彌(ふみ)←→宇美(うみ)なんて説もあるのだそうです。↓

公園上部側にある出入り口。↓

墳丘の上に上ることもできるので、

 

さっそく向かってみたいと思います。

案外高くて、わりと怖くて、

「後円部」へ行くとギャルが凧揚げの真っ最中でした。やるう。

「後円部」には埋設施設があって、箱式石棺3基・割竹形木棺1基・土器棺1基が存在していたとのこと。

そしてこっちが「前方部」。↓

また【光正寺古墳】から北側へ200mほど行くと、そこには【七夕池古墳】があって、↓

【七夕池古墳】は径29m・高さ3m・3段築成の円墳であり、

こちらは幅3.5mの周溝。4世紀後半に築かれたとありました。

木棺内には40代くらいの女性が埋葬されていて、副葬品も多々見つかっているとのこと。

ずばり!!あっちから見えたんだから、こっちからも見える。

そして凧揚げはとっくにおしまいのようです。完。


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【光正寺古墳】

福岡県糟屋郡宇美町光正寺3丁目4537-11

【七夕池古墳】

福岡県糟屋郡志免町田富3丁目118