道標べないケースもあったでしょう【道標石】

福岡県大野城市が配布しているパンフレットというか散策用のマップがあって

大野城市へ出かける際にはしばしば活用させてもらっています。大野城市の魅力がたっぷり詰まった『大野城トレイル』。

マップはコース違いで数種類あって、そのうちの一つ『山城ルート』のマップの中に、『道標石』という史跡が記載されているんです。

以前から気になっていて、先日実際に訪ねてはみたものの、なんと!ルートが分からず!結局辿り着けず!なんでよ!?

 

なぜなら、肝心のマップをなくしてしまったのだった。あらうっかり。ということで↓

今回、再びマップをゲットしましたので、地図を見ながら丁寧に訪ねたいと思います。こんにちは。

大野城市を走る国道3号を山へ向かって渡ったところからスタートします。

574号線を南へ少し進んだところに「大城1丁目」の交差点があって↓

その交差点を左、つまり今度は東へ向かいます。↓

すると!なぜかこのあと!再び道に迷って!あたふたした挙句!

なんとか、目印にしていた『井の口公園』までやってくることができました。道標を探すのに迷子。この公園こそが私にとって本当の道標だ!↓

なにはともあれ、公園まで来たら楽勝です。残すはほぼ真っ直ぐ道なので迷いようがありません。↓

その直線の通りは、最後に左右二手に分かれることになり↓

ここでは、左のゆるやかな坂道を。よし上ろうっていうタイミングで

通り沿い左の斜面に見えるのが↓

【道標石】です。おめでとうございます。

ちなみに通りの先に見えるのはゴルフ練習場。道標のための道標ともいえる。↓

さて【道標石】すぐそばに説明書きがありましたので

読んでみたいと思います。↓

この道標は、みちしるべと道の神を複合したもの。旅行の守護神、行路安全の守り神(賽の神)として民間信仰されています

続きます。↓

正面には「従是左うみみち右やまえ」

これが正面。↓

そして↓

左側面には「施主加満ふた衆」

これが左。↓

さらに↓

右側面には「延享元年子の八月吉日」

こっちが右。↓

説明書きはもう少し続きます。↓

「延享元年」は1744年に相当し、また「施主加満ふた衆」とあることから、釜蓋の信仰物として大切に管理されてきたことがうかがえます。大変珍しく貴重なものです

何を言ってるのか分からない。釜蓋の信仰物というのが分からない。

そこで『釜蓋信仰』で調べてみると「鹿児島県には、釜の蓋を頭にのせて参拝する風習のある釜蓋神社があります」とのこと。

ん!?頭にのせると言えば!頭にパスタの湯切を被る「パスタファリアン」のこともありますし。人間の本質の中に「頭に被ること」への意義があるのかもしれません。

それはさておき、最後の説明書きを。↓

本来たてられていた場所は、ここから南へ20メートル離れたところ。のちに移されました

南というのはこっち。20メートル先なら、あのダクトが見える建物の辺りかな!?

とにかく見つけることができて良かったです。お付き合いありがとうございました。

※追記

釜蓋がいったいなんなのか。あらためて『大野城トレイル』を見ていたら↓

道標石。釜蓋の古い集落にある道しるべ。自然石を台座にした角柱の石柱。両脇にはいつのころからか2体の仏像が据えられています

との記述が。つまり『釜蓋』は集落の名前でした。被り物だとかパスタの湯切だとかは関係なかったです。むしろちょっっぴり残念。


【道標石】

福岡県大野城市大城4丁目4 ゴルフ場そば