私のことは忘れても日田街道のことは【日田街道17(完)】
前回の続きです。(→なんて美しい文章なのでしょう【日田街道16】)
日田街道を辿る旅も、いよいよ終わりに近づいてきました。
それでは、依井新町の信号から今回も元気に再開したいと思います。↓
細い住宅地の通りを進んでいると↓
民家の前に庚申塔。↓
こちらにも祠があったり。↓
細い路地をさらにしばらく進んで↓
神田町南の交差点を渡ると↓
大きな案内板が出ていて、そこには「甘木親水公園」と記してある。↓
川沿いが公園になっているらしく、私はそのまま小石原川を渡るんだけど↓
せっかくですので、向こうにみえる、大きくて立派な『甘木橋』もついでに渡ってみることにしたのであった。↓
こっちはさすが交通量が多いです。↓
また、橋のたもとにはかわいいプレートがバシバシはめ込んであって、心が躍ります。↓
こっちは花火がモチーフ。↓
小石原川だけど甘木川!?んー。分かりません。ごめん。
日田へ行くには、ここ甘木からさらに「原鶴」「杷木」と経由して「日田」という具合らしい。看板によれば、約30キロくらいあるみたいよ。行けるっちゃ行ける!?うそうそ。↓
では、先へ進みます。↓
こちらにも石碑。↓
左にちらっと見えるのは『熊野神社』なのだそうです。↓
二日町の交差点を渡ると、二日町通りで↓
その先のここからは本町通り。↓
かつて、ここは商店街のアーケードだったらしんだけど、面影は!?どうなんでしょう。↓
通りの奥へ進むと↓
左手に鳥居があって↓
その先へ進んでいけば『須賀神社』が鎮座していて↓
でも日田街道はここを右へ曲がって↓
その先で再び左へ進んでいくということらしく。↓
それはつまり、私はここでお別れぞ。最初の目標だった甘木に到着しましたのでね。
日田街道の続きはまたいつかどこかで再びきっと。それじゃあね。↓
と思ったんだけど、せっかくなんで甘木駅まで向かいましょうか。通りの左手に『厳島神社』が鎮座していて↓
その先の『天満宮』から、右へ曲がります。↓
大通りに出てきましたよ。↓
この石碑はなんだろう。↓
ここで曲がれば↓
西鉄甘木駅で↓
さっきの大通りをそのまま真っ直ぐ進めば↓
JR甘木駅です。↓
こちらのお二人は、たぶん甘木在住の人なんだろうけど↓
あんた、いったい誰なんだ!!
※男子女子の正体。(日田街道を辿り終えてのちほどに教えていただきました。)それは↓
これは、「甘木」の由来になった『甘木山安長寺』名物の「バタバタ」(でんでん太鼓)で、痘瘡除け・子育てに御利益があるとされています。福相の童子の顔は、安長寺のご本尊「延命地蔵菩薩像」の申し子といわれているそう。1月4日と5日のバタバタ市でしか手に入らない、結構貴重なもの。
とのこと。ありがとうございます。ところでバタバタ市!いい名前!↓
さて、駅前には、大伴旅人の歌だとか↓
こっちにはおしゃれなパネルがあって↓
『卑弥呼の里』の碑がどんと立っている。↓
説明書きを読んでみると、どうやら甘木朝倉地方というのはかつて邪馬台国であったっぽいよ。↓
ふーん、それな!!ってことで、日田街道の旅はここで終了。
これまで読んでいただき、ありがとうございました。
繰り返し読むならこちらから!(→日田ってみれば!?【日田街道01】)
【JR甘木駅】
福岡県朝倉市甘木