なんて美しい文章なのでしょう【日田街道16】

前回の続きです。↓

日田街道をはるばる辿る記事も早16回目。福岡県朝倉郡の『當所神社』までやってきました。

さっそく開運パワーを身にまとい、その金銭感覚でさらに先を進むのであった。こんにちは。↓

今回も元気に日田街道を辿っていきたいと思います。↓

ちなみに辺りはこんな風景。↓

やたら渋味のあるストリートを駆け抜けます。↓

とにかく真っ直ぐ。真っ直ぐ。↓

石碑もあるけど、良く分かりません。↓

あらステキ。↓

遠くに鳥居が見えたので↓

ちょっと寄ってみたいと思います。↓

こちらに鎮座するのは『栗田老松宮』というそうで↓

案内板を読むと、こんな具合。↓

秋月種実と筑紫広門らが御笠郡岩屋城の高橋紹運を攻めました。この時、秋月勢が、誤って太宰府天満宮そばの人家に火をつけ、天満宮を焼失してしまいました。そこで祟りを恐れた種実が栗田の寺家に社を建てご神体を移したのが、このお宮の起り

そして↓

その後、天正1年(1591)に小早川隆景が太宰府の社を再建し、ご神体を戻すまでの14年間は、この地に鎮座していました。そのあと、老松大明神を祀り現在に至る。境内は小さいながらも、太宰府天満宮と同じように池や梅の木が配置されています

とのこと。太宰府天満宮のお話はこちらも是非!↓

そして高橋紹運のお話はこちらでも!↓

では境内へ。↓

こちらの池のフェンスには↓

こんな説明書きがあって↓

私は大変感激したのであった。ぐっときました。↓

色鯉を12匹いれました。太宰府天満宮の鯉のように大きくなるとよいなと思います。

こんな美しい文章見たことないです。

素敵だなあ。

こちらはご神木のようで↓

さらに狛犬も。↓

拝殿。↓

近くへ寄って。↓

さきほどの説明書きが記されたのが平成8年。

その後に記される(べき)、続きの文章が境内に見つからなかったのが、ちょっと残念。

それでは、日田街道に戻り、先を急ぎましょう。↓

すると通りにこんなお堂?を発見。↓

そばに説明書きがあって↓

読んでみると、思いがけずなかなか面白いんです。聞いてください。

 

でも文字がかすれてるんで、間違えてたらごめん。↓

阿弥陀堂の由来。本尊は阿弥陀仏、脇立観音勢菩薩。本尊は伝教大師の作であった。小郡光養寺の住職と田主丸厳浄寺の住職がお互いに「自分が祭る」と取りに来て争った。その結果、首は光養寺に胴は厳浄寺へ。後で祖?が像を作った。これが現在の仏像

また↓

明治時代に金箔を塗ったが、国宝にもれたと言われる。古狸が阿弥陀仏に化け、人身御供を強要したという伝説もある。

深みと渋みのあるお話でした。↓

では再び日田街道へ。↓

なんて書いてあるのかな。↓

「北新町」の信号そばには↓

ん?誰?↓

そして「仙道古墳」の案内が。↓

この後古墳も訪ねてみたんですけど

そのお話はまた別の機会に。(※こちら!↑)

通りのすみっこに↓

鳥居があったり。↓

と思ってたら、その先にもっと大きな鳥居。↓

さらに進んで、こちらの酒屋を前にして↓

左へ進む道が『秋月街道』だそうで↓

日田街道は右へと曲がり↓

依井新町の信号を渡って↓

そこからさらに左へと入っていくみたい。↓

とにかくいよいよ、目標としていた甘木の町へやってきました。どきどき。

お別れも近いのかな。

それでは次回までごきげんよう。続きはこちら!↓


【栗田老松宮】

福岡県朝倉郡筑前町栗田1609