本当の鬼は鐘の鳴るほう?手の鳴るほう?【朝日地蔵尊】
福岡県太宰府市を貫く政庁通りを、関屋交差点から太宰府天満宮へ向けて進んでいくと↓
通りの右手に太宰府市役所が見えてきます。↓
その市役所を通り過ぎたすぐのところには、御笠川が流れていて↓
橋のたもとには↓
『三浦の碑』が立っています。↓
この碑はなんなのかといいますと、かつて「さいふまいり」に訪れた人々が、この地で身を清めてから宰府宿へ入っていったという、そんな由来を記した碑。(→さいふまいる系?02/02【日田街道09】)
さて、ここからさらに御笠川の川沿いを上流へ少しだけ進むと↓
白川橋が架かっていて↓
ここから左へ折れると↓
ゆるやかな坂道がすうっとのびています。↓
その上った先の突き当りにあるのが↓
【朝日地蔵尊】。↓
横岳口。↓
右へ進むと『横岳崇福寺』。↓
隣りには、カラフルな絵馬がかけられていました。なんだろうか。↓
さて、それでは地蔵尊へと近づいてみることにします。失礼します。↓
むむ。埋まっているよ。↓
説明書きがありましたので↓
とにかく読んでみたいと思います。↓
この堂宇旭地蔵尊は、横岳崇福寺を創建した湛彗の墓と伝えられます。湛彗は僧の身分ながら、神事である鬼すべの鬼にされ、百鬼は疫病を引き起こし人命を奪うもののけと言い伝えられ、その鬼にされて人前でひどい目にあわれ、深く心を痛めふさぎがちに。
そして↓
思いつめた湛彗は、山の麓に横穴を掘り一心不乱に独読を唱え鐘を打ち鳴らしたのでした。だけど、ある日旭の日の出とともに、独読も鐘の音も途絶えたのだった。座ったまま息絶えていたのです。
そこで↓
土地の人は石塔を立てて供養。朝日山そして日の出の旭にちなんで、朝日(旭)地蔵尊。
さらに追記があって↓
黒田長政は、筑前に入国した際、兵火でなくなった崇福寺を千代の松原に再興しました。その時に、ここの地蔵様の分霊を境内にお祀りしました。それが博多崇福寺の旭地蔵尊です。
とのこと。↓
なんとも悲しいお話ではないですか!!
勝手に鬼の役にさせられ、そのことに深く傷つき思いつめ、横穴に潜み、一心不乱に鐘を打ち鳴らした湛彗。↓
そしてある日、そのまま天に召されたというね。↓
さきほど読んだ説明書きの追記には、『横岳崇福寺』とあって↓
それは、この道を進んだ先のほうにあるみたいです。↓
また、一方の『博多崇福寺』というのは、福岡市博多区の千代地区にあって↓
そちらの境内にも、また『旭地蔵堂』があるというわけですよ。こんにちは!↓
【朝日地蔵尊】
福岡県太宰府市観世音寺5丁目14-1950