浦人は海辺に住む人【箱崎網屋天満宮】
福岡市東区箱崎に【網屋天満宮】を訪ねました。
かつて旧唐津街道の宿場町だった箱崎の地は、黒田藩の御茶屋なんかがあって大変賑やかな場所だったのだそうです。
その町の一角に、現在【網屋天満宮】が鎮座している場所があるんですけど↓
もともとこの場所には、漁師の屋敷があったとのこと。
その屋敷の「網屋佐助弥助」とかいう人(ら)が、「浦人(海辺に住む人)の守り神」として『菅原道真公』をお祀りしたのが【網屋天神】の由来らしい。↓
この「網」っていうのは漁師の網ということなのか。佐助弥助の名字が「網屋」なのか。私はさっぱり分かりません。ごめん。
そしてその「佐助弥助」というのは一人の名前なのか。もしくは「佐助」と「弥助」というコンビなのか。やはり私は分からないのであった。
さて、境内の案内板によりますと↓
従来は、境内中央に東向きに社殿があったけど、昭和29年(1954)の改築建立の際、東北側の現在地に南向きに移転しました。
では鳥居をくぐって、ゆったり広い境内にお邪魔します。↓
いくつかの境内社が鎮座。こちらは『金比羅宮』と『愛宕神社』。↓
そして『三隅神社』。↓
案内板によりますと↓
『三隅神社』は島根県三隅町三隅の旧郷社であり、三隅兼連を祀っています。
とのこと。
こちらは『恵比寿神社』で↓
『恵比寿神社』は箱崎浦の漁師の守護神として信仰を集めています。かつては恵比寿祭が盛大に行われ、大絵灯籠が網屋各町の通りに飾り付けられました。
だけど道路拡張といった環境の変化で飾ることができなくなったため、「筥崎宮」へ寄進されたのだそう。(→水族館があったとしてそれはその後【筥崎宮01】)
『竜宮神社』の前には↓
どーんと鯛の石碑があって↓
こちらは『聖観音(焼けずの観音)』。↓
網屋町を大火が襲ったけれど、聖(焼)観音のおかげで無事に済んだらしいです!!良かった!!
また境内隅の方には『鯨之標(鯨塚)』があって↓
この『鯨塚』というのは
もともと箱崎の浜で捕獲された鯨の供養として明治21年に建てられたもの。九州大学(移転前)そばの松原に碑が建てられ、のちにここ【網屋天満宮】へ移されました。
とのこと。【網屋天満宮】では毎年7月23・24日に「箱崎人形飾り」が行われているらしく↓
案内板によりますと
子どもの無病息災を願って、家の玄関先に捻り人形やお地蔵様の石を飾って箱庭を作り、子どもたちは線香を手に地蔵堂や各家庭をまわります。
古くから続く風習だけれど、現在ではほんの一部でのみ行われているそうです。そして↓
地蔵祭りは「多々良浜の合戦(足利尊氏と菊池武敏)」の戦没者を弔うために始まったとされています。
とのこと。(→魚鱗の陣形は背後が弱点【多々良浜古戦場跡】)
あ、そういえばこちらが【綱屋天満宮】。完。↓
【網屋天満宮】
福岡市東区箱崎2丁目10-21