小さな丘に眠る太郎坊【石投げ地蔵】
福岡市南区の高宮通り沿い。西鉄大牟田線の『西鉄大橋駅』と『西鉄高宮駅』のちょうど中間あたりに、ファミレス「ジョイフル野間店」があって
そのすぐ脇のところに階段があるのを見つけたのであった。それはこんな感じ。↓
気になりましたので近くへ寄って見てみると、階段の入り口すぐのところには使えるのか分からない井戸があって↓
『子待の井』と刻まれた石標がありました。
子を待つ井!?そばに案内板があるので↓
読んでみたいと思います。↓
このお地蔵さんは筑前風土記に「塩煮塚」と記述され古い歴史を持っています。かつてこの辺りは、山伏(修行僧のこと)が宝満山へ入峰する際に断食修行をしながら通った場所です
お地蔵さん!?そして、言い伝えによりますと↓
ある時、太郎坊という山伏が修行途中に倒れ、帰らぬ人となりました。そこで石を積み上げて、供養したというのがこの地蔵の由来とされています
また境内には小石が多数あって↓
境内の小石はイボの治療に効くという言い伝えから『イボ取り地蔵』としても知られていて
さらに↓
安産子安にも霊験あらたかなお地蔵さんであります
とのこと。ちなみに「宝満山」とこちらの位置関係はこういう具合。↓
それでは階段をのぼってみます。
こちらが【石投げ地蔵】の祠。小石が詰め込まれていて↓
境内にも案内板の記述通り、たくさんの小石。
奥の方には石仏が並んでいて、大変綺麗にお手入れされていました。↓
ところで。案内板によりますと、この場所は「塩煮塚」として『筑前風土記』に記述があったとありました。これは気になります。
というのも、ここから東へ10分ほど本気で力強く走っていくと、「塩原」という地区があって、そこには『塩原中央公園』がある。↓
そしてその園内に潮(塩)煮塚の石碑があるんです。
石碑の裏には説明書きがあって↓
読んでみると↓
塩原の由来は汐原、塩煮塚にあり。この辺りまで潮来たり。塩を焼いたところに塩煮塚を建てました。
塚の場所は不明だけど、ここに記念碑を建立します
隣りの博多古図はこう↓
そしてお地蔵さまと公園の位置関係はこんな具合。↓
つまり、ですよ。
お地蔵さまのある辺りは海岸線の近く。船でやってきた修行僧はここから上陸し、断食しながら宝満山を目指したのだ。その一人が太郎坊
そんな推測ができるかもしれません!?こんにちは。
【石投げ地蔵】
福岡市南区向野1-22