源氏物語なら読んでみたかった【弘法水】
福岡県太宰府市にある『観世音寺』と(→紫陽花の花言葉は移り気【観世音寺01】)↓
『戒壇院』の間にある細い道を北へ向って(→山門までの雰囲気がいい戒壇院【観世音寺04】)↓
玄昉の墓を通り過ぎると(→玄昉のお墓で観世音寺訪問もおしまい【観世音寺06】)↓
『歴史の散歩道』が目前を横切っています。↓
この道をちょっと右へ進むと『日吉神社』が鎮座していて(→怒らせたらダメな人を怒らせる【日吉神社/観世音寺05】)↓
左に行けば『武藤資頼・資能の供養塔』。こちらは次回に訪ねたいと思います。↓
今回は、このまま散歩道を横断して、真ん中を突き進んでやろうというお話です。↓
通りの右側に見える森が、鎮守の杜『日吉神社』で↓
もう少し歩いてみると↓
通りの左手に案内板が立っていて、そこには【池渕弘法大師】と書いてあります。↓
ここが今回の目的地である【弘法水】。↓
奥の方を見てみると、そこは緑のトンネルみたいになっていて↓
このトンネルの中に入ってみると、テーブルと椅子があって、つまりお茶会的な!?ティーパーティー的な!?そういう雰囲気。↓
そばに小さな池があって、そのさらに奥には庵というか小部屋がある。↓
では、ちょっとお邪魔します。↓
この【弘法水】の『弘法』というのは、ご存じ『弘法大使・空海』のこと。空海というのは、遣唐使として唐へ渡って仏教を学び、2年後に帰国。予定より早く帰ってきたせいか、入京を許されず、3年ほどを大宰府の観世音寺にて過ごしたのでした。ということらしいです。
小部屋の室内には像が並んでいて、感覚の鋭い人でしたら、なんかしらパワーとかを吸収しそうな雰囲気で満ちています。私は鈍いから良く分かりません。↓
こちらに見えるのが、いわゆる『弘法水』なのだそうです。↓
「太宰府文化ふれあい館」のHPに詳細な記事がありましたので、参照させていただきます。↓
観世音寺の北に「清水井」と呼ばれる湧き水の池があり、観世音寺の山号「清水山」は、これに由来。『源氏物語』にも「清水の御寺の観世音寺」と記されています。
また
『筑前国続風土記拾遺』にも、「池の周りに観音菩薩と弘法大師の石造があり、弘法水と呼ばれている。」との記述。また敷地内には、「筑紫四国霊場第三番札所 池渕弘法大師」のお堂も建てられています。
なるほど。ところで一つ気になることが。源氏物語の『玉蔓』というのはいったい!?
wikipediaの説明によると↓
玉蔓というのは二十歳の女性で、九州に流されました。その場面に弘法水が出てきます。
ということらしいけど、まあ読んでないからさ。正確なところは分かりません。
さて、次回は『歴史の散歩道』を左へ進んだ「武藤資頼・資能の供養塔」へ向かいたいです。乞うご期待!!
続きはこちら!(→だいたい学校院に入院できない【大宰府学校院跡】)
【弘法水】
福岡県太宰府市観世音寺4丁目17-23