わりと見つけづらいのも納得【在日米軍弾薬庫跡】

前々回、【雀居遺跡】を訪ねてみようと、福岡市博多区にある「福岡空港国際線」近辺を散策しました。

そして前回、ふと気が付くと

私は博多区の東那珂地区に鎮座する【雀居祇園宮】で↓

一人佇んでいたのだった。以上が前回までのあらすじです、こんにちは。↓

さて、こうして空港周辺をうろうろしていると、ふいに、とある場所のことを思い出したんです。↓

その場所を訪ねたのは去年の秋のこと。今更感がすごいけど、でもせっかくだから聞いてください。↓

その場所はこの国際線の反対側で、つまり向こう側。国内線ターミナル入り口があるほうの空港で↓

つまりそれは

『下月隈神社』が鎮座する近辺でもあって

その『下月隈神社』の前を通る「水城下臼井線」の道沿いを空港ターミナルの方へ進んでいくと↓

途中の右手に『埋蔵文化財センター収蔵庫』があります。↓

そしてその脇から続いていく通りは、なかなかの坂道であるのだ!!↓

今からこの坂道を頑張って上っていくんですけど、みなまでは上りませんよ。

 

途中のこの辺りでストップ。そしてちらちらっと左の辺りをのぞいてみると↓

奥の方になにかがあるのが分かりますか。これは『弾薬庫跡』らしい!?んです。↓

私はこのことを書籍『福岡の近代化遺産/九州産業考古学会編(弦書房)』の記事で知って、昨年秋に訪ねていたのでした。参照させていただくとこんな具合。↓

福岡空港の東南端、月隈丘陵には弾薬庫跡が残っている。福岡空港は44年に陸軍席田飛行場として建設され、戦後は米軍が接収し、板付空港に改名

そして↓

弾薬庫跡はコンクリートで作られた巨大な遺構で、正面3ヶ所に入り口。北九州から弾薬が運ばれ、ここで充填作業や保管が行われたと思われる。米軍からの返還後は、福岡政府倉庫として使用されています

空港の歴史といえば、前々回の【雀居遺跡】のお話の中にも、『福岡市博物館』のHPから参照した記事があって、そちらには、こうありました。これも参照です。↓

福岡空港は第二次大戦中の1944年、陸軍席田飛行場としてつくられました。終戦後は、米軍板付基地として運営されたあと、西日本の幹線空港として発展

ちなみに!話は少しズれるけど、書籍『福岡県/JR全駅(弓削信夫)』にはこんな興味深いお話がありましたので↓

こちらも参照させていただきます。↓

昭和20年のこと。英彦山駅そばの二又トンネルを日本陸軍が弾薬庫として利用していましたが、終戦を迎えます。米軍が接収し処理のために火をつけたら大爆発を起こしたという事件がありました

弾薬庫つながりで印象的だったので、ちょっとご紹介でした。

【雀居遺跡】を訪ねたつもりが、あれよあれよと、弾薬庫まで辿り着きましたよというお話は、これにておしまい。


【在日米軍弾薬庫跡】

福岡市博多区月隈1丁目13