雰囲気だけで勘弁して欲しい【下月隈八幡宮】
福岡市南区の大橋地区から県道45号を志免方面へ進むと↓
西月隈交差点に西月隈歩道橋があるので↓
渡ります。交差しているのは都市高速。↓
左に広がって見えているのは福岡空港国内線で↓
この辺りは、ちょうど空港の南端にあたるところらしく↓
その南端の底のところに「下月隈1号緑地」がある。↓
ここは、飛行機の離着陸を見学しに来る人で賑わう場所で有名だそうで↓
私もちょっと初参加して、知らないみんなとしばらく黄昏ていると↓
飛行機がこんな感じでやってきましたよ。なかなかの迫力。↓
さて、この通りをもう少しそのまま真っ直ぐ進んだところに鳥居が見えて↓
つまり今回の目的地である【下月隈八幡宮】が鎮座しているというわけです。↓
さっそく鳥居をくぐって階段をのぼります。↓
「下月隈八幡宮」。↓
割れたのか寄り添っているのかの石。↓
階段をのぼり終えて↓
振り返るとこんな感じ。↓
由来書きの石碑がありましたので↓
ふんわり読んでみます。なんとなく。難しい文章だったからね、ほら。↓
ご祭神は「応神天皇」「神功皇后」「玉依姫命」。
で
759年に大宰師(大宰府長官)の三船親王が造立したと社伝にあります。
ちなみに
勧請の年は不詳です。ここはかつて「槻隈の駅」でした。1091年に経信卿が大宰帥に任するための移動中、この駅で十五夜の月を眺め琵琶を弾きました。のち1467年の応仁の乱で灰燼に帰すも、黒田藩によって格別に崇敬されました。
雰囲気だけ伝わって!!そして詳細は伝わらないで!!違ってたらごめん。
さらに続きます。今度は「月隈の由来」。↓
『筑前国続風土記』の記述です。経信卿が大宰帥に任するために下向する時のこと。筑前国席田驛(駅)についたら、月が明るくて館の前に大きな槻。(けやきの古名)。
それが月にかかって邪魔だったので切らせました。そして月に向かって琵琶をかきならし、夜が明けたので出発。
そしてここからの文章が私には分からない。なんとなく理解したのはこんな感じ。↓
時が経ち、経信卿が琵琶を弾いた場所がどこだか分からなくなりました。月隈というところがあって、ここに大きな槻がある。槻隈を間違って月隈と書いた。月隈は東山下の場所をさし、そこにはかつて道があって、宿駅があった。
「槻隈の駅」イコール「筑前国席田驛(駅)」なのかな!?え待って。今私は雰囲気「だけ」をお伝えしています!!お願いします!!
で、拝殿。↓
狛犬。イケテルう。↓
拝殿内をちらっと。↓
神武天皇。↓
社殿。↓
境内社。↓
おや、この左の木が槻なのかしら!?とかいって↓
雰囲気よ雰囲気。雰囲気しか!!
【下月隈神社】
福岡市博多区月隈3丁目11-1