深夜に飴を買いにくる女と飴を売る男【安国寺】

どうもこんにちは。ではさっそく始めたいと思います。

福岡そして九州内でも有数のビッグシティ『天神』を貫く渡辺北通りの↓

その通りの角にあるハンバーガー屋を左に曲がって、小道へ入っていきます。↓

この小道は「材木町通り」といって、かつて材木置き場があったことが由来とのこと。↓

わりと賑やかな通りで、すれ違いざまに「ラーメンの替え玉がまじ震える」とか、だめな感じの会話が聞こえてきたりして。↓

そんな通りを少し進んだ右手のところに山門がどんと構えている。こちらが今回の目的地【安国寺】の山門。曹洞宗のお寺。↓

山門の立派なことよ。

そばに案内板がありましたので

まずは読んでみたいと思います。↓

福岡藩の黒田長政は国替えによって豊前国(大分)から筑前国(福岡)へやってきたわけですが

豊前国の中津にあった【安国寺】の住持(寺の長)である天翁全補禅師のために寺を移したのが始まりだそうです。

1635年に焼失したけれど、2代目藩主忠之によって再建されました

とのこと。

山門の両脇には高さ4.2mの仁王像。

あ。↓

うん。↓

それでは境内へ。↓

振り返るとこんな感じ。↓

境内左手に見える『大梵鐘桜堂』は、2007年の建立で↓

この梵鐘は九州でも屈指の大きさ。↓

鐘桜堂の天井にはかっこいい「双龍」の天井画も。↓

こちらが本堂。↓

そして天満宮で↓

地蔵堂。↓

さてここからが本題。こちら【安国寺】は『飴買い幽霊』のお話で良く知られているときいたんです。

お話を福岡市中央区のHPを参照しますと(リンク切れ)↓

毎晩、丑三つ時(午前2時ごろ)になると飴屋に若い女が飴を買いに来ます。飴屋が女の後をつけていくと、安国寺の中に消えていきました。境内には新しい卒塔婆が立っていて、地中から赤ん坊の泣き声。

墓を掘ると赤ん坊がいましたが、日を経ずして亡くなりました。延宝7年(1679年)のことです

そして↓

境内には「岩松院殿禅室妙悦」と彫られた女の墓が建っています。その横にしがみつくように立っている墓には「童女」と刻まれています

とありました。

本堂の左脇に『飴買い幽霊』のお墓(石碑)。↓

大きな方がお母さんで小さい方が赤ちゃんのお墓ということみたい。↓

でね、ふと思ったんです。若い女が夜中の2時に飴を買いに行くというその飴屋は、いったいどこにあったのか。

wikipediaの『子育て幽霊』の項には『安国寺の隣の鍛冶町にあった飴屋』とあります。
鍛治町通りはここ↓

この辺りから飴屋は女の後をつけていくわけですが、怖くないのかな。↓

幽霊だから下半身とか透明でしょう!?
で私はこう思うんです。↓

 

飴屋は自分の店から、この女性の様子をうかがっていたんじゃないか。そして女性が【安国寺】へ入っていくのが見えたから、安心して後をつけたと。

だって、夜中につけていくのって怖いですし。っていうか、飴屋の行動もとっくに怖いけど。

そんなこんなで推察の結果、この辺りに飴屋があったと私は考えます。考えたい!!↓

え!?どうでもいいですか!?え!?まじ震える!!ちなみに【安国寺】の敷地の隣には

「あめ買い寺通り」がありました。え、こっち!?

おわり。


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【安国寺】

福岡市中央区天神3丁目14-4