ただまぶしさだけのせい【横岳崇福寺跡(法堂跡)】

前回に続きます。↓

前回、太宰府市にある【朝日地蔵尊】を訪ねたわけですが↓

【朝日地蔵尊】は湛彗のお墓だと伝えられていて↓

その【朝日地蔵尊】前の道を右へと進んでいくと↓

通りの先には、湛彗が建立したという【横岳崇福寺の跡】があるそうなんです。↓

せっかくですし、訪ねてみたいと思います。↓

通りの途中で左を見やると、そこは坂道になっていて、↓

坂道の手前に案内板が出ていました。

 

あれ?ない?なくなくない?【横岳崇福寺の跡】の案内どこ!?↓

辺りを見廻してみたら、坂道の先に住宅地図をがありましたので、↓

さっそく坂道を上ってチェックです。するとどうやらここからさらに坂道を上っていくみたい(←坂道を上るこちらの道は横岳崇福寺法堂へと向かう道でした。横岳崇福寺跡は、坂道を上らずそのまま真っ直ぐ進んだ先でした)。↓

(※後日訪ねた横岳崇福寺跡のお話はこちらで!↓)

続きます。きれいな住宅地の間を続く坂道を、必死の形相で歩きます。↓

すると、ちょっとした小さな広場になっている場所があって↓

お地蔵さまも。↓

ここは【横岳崇福寺】となにか関係あるのかな。ただの単なる空地なのか。さっぱり分かりません。↓

さらにその先の角を右へ曲がると↓

そこには広めの空地があって↓

ここが【横岳崇福寺跡】(←※横岳崇福寺法堂跡)。↓

お地蔵さま。↓

石碑とお地蔵さま以外には何もなくて、↓

説明書きはありましたので↓

しっかり読んでみたいと思います。↓

太宰府崇福寺は臨済宗の寺院で、山号は地名から横岳山。創建は湛彗禅師。1272年に大応国師が開山となる

そして↓

1586年の島津兵による岩屋城攻めにより全山が消失。博多承天寺同様、関東御家人の武藤少弐氏が背景となり成立した禅寺であった

また↓

発掘調査により、この地に寺の中心建物であった法堂と僧堂がL字に配された形状で確認された。谷地を堂舎・庵、それに接す丘陵部に石塔を用いた墳墓を形成、それら複数の谷に各塔頭を配すことで寺域を形成していた

とのこと。↓

こちらは、江戸時代に故地となった横岳の伽藍図を復元的に興した絵図。↓

なにか書いてあるけど、よくわかりません。↓

なぜなら日差しが強い一日だったから。

(※追記。後日横岳崇福寺跡を訪ねたお話はこちら)

おわり。


【PR】異邦人 (新潮文庫)

【横岳崇福寺跡(法堂跡)】

福岡県太宰府市観世音寺6丁目13