総瓦葺の荘厳な建物が存在したとか【内橋坪見遺跡02】
前回の続きです。
前回、久しぶりに福岡県糟屋郡粕屋町へ向かい、
「阿恵官衙遺跡」を再訪問したあと、

すぐ先にのびる小路を入った先の行き止まりを目指して、そろりそろりと歩いてみたのでした。こんにちは。

では続きます。進んだ先はやっぱり結局ただの行き止まり。

古代の道路跡も見れませんでしたし「鶴見塚古墳」へ辿り着くことも出来ませんでした。
(※通りの逆サイドから攻めてみたお話はこちらで!↓)
とにもかくにも、

「阿恵官衙遺跡」の再訪問のお話はここで終了となります。
さて、書籍『海路12号』にはこんな記述がありました(参照させていただきます)↓
p11 夷守駅は粕屋町の内橋坪見遺跡に、久爾駅は福岡市の高畑遺跡に比定されるようになった
「夷守駅」に比定されるという「内橋坪見遺跡」。さあ、ここからはこちらの遺跡を目指して散策してみたいと思います。

さっそく先ほどの分かれ道へ戻り、左へ進んでいきます。

目的地である「内橋坪見遺跡」は 粕屋町内橋東地区にあると、以前の記事で知りました。

そこでとにかく内橋東地区へとたどり着き、界隈になにか痕跡でもないかとひとしきりブラブラしていると、

あちらの食堂からグッと来るいい匂いが漂ってきたんです。そこでつい誘われるままに食堂脇の小道を進んでみたところ、

なんと!奇跡的に!こんなスペースを発見。サンキュー、食堂。

金網の内側の敷地は九州電力送配電東変電所で、その隣りに広がる小さなスペースが、↓

「内橋坪見遺跡」!こんなにきちんと整備されているなんて。感激。
駅家の馬ってことで馬の遊具かな。

ほんとに偶然なんだけど、こうして出合うことができるなんて。今年一番の幸せ。

では説明書きを読んでみたいと思います。
平成24、26年の発掘調査により奈良時代に建てられた大型の掘立柱建物跡、その建物を囲う柵跡、遺跡の周囲を区画する溝、大量の古代瓦などが出土。瓦の中には赤い塗料が付着したものがあったことから、総瓦葺の荘厳な建物が存在したことが分かりました
続きます。
都と大宰府を結ぶ官道沿いに万葉集で別れの歌が詠まれた夷守駅が存在していたことが分かっています。ここで発見された大規模な建物跡は、当時の移動手段である馬を管理し、役人や外国使節が使用する宿泊施設として利用された駅家の可能性が高い。現在は地面の下に遺跡が保存されています
とのこと。ベンチ横に置かれているのは、建物の柱を支えていた礎石だそうです。↓

それでは「内橋坪見遺跡」をあとにして、

そのまま小道を進んだ先には、

毛田池。※池手前のこの道がもう一つの古代の道路跡(b)っぽいけど、果たして!?どうなんです!?

地図で確認してみると、多分こういう具合。

そしてその毛田池があるのが毛田池公園。といったところで、

「内橋坪見遺跡」のお話はおしまいです。最後にいまいちど地図を確認しながら(東西ルート)、

さようなら。ご清聴ありがとうございました。
(※東西ルートのお話はまた後日に)
【内橋坪見遺跡】
福岡県糟屋郡粕屋町内橋東2丁目7



