時姫真喜姫多喜姫、美しさゆえの最期【坂の下地蔵】
つい先日、福岡県糟屋郡の粕屋町に「阿恵官衙遺跡」を再訪問したお話をしたわけですが、
「阿恵官衙遺跡」がある九州大学の敷地内には「古代道路の跡」が走っており、さらに「鶴見塚古墳」もあると聞きました。それならば!

道路跡や遺跡なんかをもっと近くで見学したい!そんな想いがふつふつと湧いてきちゃったのでした。

そこで一計。そばをのびる行き止まりの道を、とりあえず一番奥まで進んでみることにしたんです。でも、

やっぱり結局行き止まり。残念だけどしかたありません。それ以上深入りすることなく、ただ悲しみの帰路についたのだった。だがしかし、

帰宅してから、あれこれ振り返っていたら、あれ、逆サイドがあるじゃん!?という考えが頭に浮かんできたんです。

そう、別のルートを辿って、ぐるり右側から向かい側へ廻ってみれば、もう少し近くまで寄れたかもしれないじゃん!後悔したくない!やるっきゃない!

というわけで、日をあらためて、朝も早よからはるばるチャレンジしに行ってきましたので、今回はそのお話です。さあみなさん聞いてください。

お馴染み「扇橋」の交差点。ここを真っ直ぐ進むと、九州大学の敷地そして「阿恵官衙遺跡」が広がっています。

今回はこの交差点を右へと曲がっちゃいますよ。どきどき。

篠栗線の高架下をくぐったすぐのところに、

大きな門が立っている。こちらが九州大学農学部敷地の正門のようです。

さらに進むと、通りが二手に分かれているので、

左の小道を進みます。するとおや、

説明書きが立っています。それからお堂が目の前に。なんだろう。なになに。

さっそく読んでみるとこうありました。
坂の下地蔵。788年のこと、原町に人望高い千万長者がおり、時姫、真喜姫、多喜姫という三人の美しい娘あり。その美しさゆえ悲惨な最期となった一家を憐れみ、村民が祀ったのがこの地蔵様
え!?どういうこと?いったいなにが起こったの?そこがー一番だいジー、だけども。教えてよ!続きます。↓
この碑は原町坂の下にあった。その下は波打ち際で海だったらしい。当時は5mもある高台の下にあった。黒田長政入国後、移転。さらに藩政末期に坂の上まで移転。明治以降、塀の間にはさまった。地蔵様を祀るとその家は栄えるという
悲惨な最期のとこだけ気になる!!
それはさておき、引き続き坂を進むと、一段高くなったところに、

ここにもお堂の姿。そしてその背後には坂道の様子を確認できます。といったところで、

そろそろ「鶴見塚古墳」そして「古代道路」探しへ戻ることにしましょう。

角を左へ曲がり、

そして住宅の路地を縫っていくと、すぐ左手に九州大学農学部の敷地が広がっています。

このもわっとした森って、鶴見塚古墳っぽくないですか?どうです?それから、一列に並ぶ木々も見える。↓

これは古代の道路跡っぽい!?正解であれ。さらに進むとこんな案内。↓

それから注意書きやらなんやらがあって、↓

も少し先へ進んでみたら、

再び行き止まりの案内を発見です!これは進んでみるしかありません。↓

さっそく進んでみるも、ここが限界。少しでも近づけたので満足っちゃ満足です。終わり。

【PR】恋の花咲く三姉妹
【鶴見塚古墳】
福岡県糟屋郡粕屋町原町4丁目22
