西鉄クリッパーズは春日原球場がメイン【官道12】

前回の続きです。

前回、官道の西門ルートを辿って中央区の『舞鶴公園入口』までやってきました。

ということは!?最終目的地である『鴻臚館』はもう目と鼻の先です。

では今回もスタート。でもその前に、ちょっと聞いてください。

 

太宰府市国分地区にある東門跡の説明書きに、

西門ルートについてこんなお話がありましたので、復習も兼ねて読んでみたいと思います。

西門から北に向かう道は、北に対して55度ほど西に向いたこちらも直線で、約12km進むと鴻臚館(古代の迎賓施設)に至っていました

また、書籍『1300年前の高速道路』によりますと↓

海岸線はずっと南で、鴻臚館は岬の上に隔離されていました。古代官道は赤坂小学校の真下を通って鴻臚館へ向かった

とありました。それでは、

『舞鶴公園入口』から先へ進むことにしますね。

左手に見えるのが、まず『中央体育館』そして、

その隣りに続くのが『赤坂小学校』のグラウンド。つまり先述のお話に沿うならば、昔で言う『岬の上』へ向かっている形となりますよね。

そしてゆるやかな坂道(岬)を上りきると、↓

大きな広場が目の前に広がります。ここは『鴻臚館広場』といって、

かつて『平和台野球場』があった場所。発掘調査によって、

鴻臚館(筑紫館)の存在が明らかになりました。左を見やれば、

以前訪ねたことのある『鴻臚館展示館』を確認することが出来ます。

古の鴻臚館の姿。↓

『鴻臚館展示館』は入館料無料。ではいざ、さっそくお邪魔するその前に。またまたちょっと待った!

過去記事から『鴻臚館』にまつわるお話をざざっと参照して復習しておきましょう。まずはこんなお話から。↓

『鴻臚館』は外国からの賓客をもてなすための施設で、「平安京」「難波」「筑紫」の3ヶ所に設けられました。ここ「筑紫」の『鴻臚館』は以前は『筑紫館』と呼ばれていました

続きます。↓

『鴻臚館』は堀で隔てられた南北2つの客館で構成。造営以前は、2本の丘陵が東へのび古墳が造られていました。

建物は時代によって変遷。1047年、「大宋商客宿坊」放火犯人を捕縛した記録を最後に文献から姿を消すことになります

こちらは『鴻臚館広場』に掲示されていた『鴻臚館』のイラスト。海に沿って北館があり、堀を境に南館がある造り。↓

そして北館・南館それぞれに東門が設置してあるようです。さて、↓

ここからは『鴻臚館』のお話からちょっと離れて、『鴻臚館』が発掘された『平和台球場』についても少し調べておきたいと思います。

まずはwikipedia『平和台野球場』から参照させていただくと、↓

1948年に平和台総合運動場が建設。1949年、平和台野球場が完成。1950年、西日本パイレーツの本拠地、西鉄クリッパーズの準本拠地。西鉄クリッパーズは春日原球場がメイン

(春日原球場についてはこちらの記事も!↓)

続きます。↓

西鉄と西日本が合併して西鉄ライオンズが誕生、本拠地に。太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズとスポンサーを変えて、西武ライオンズ。1988年にダイエーの本拠地に

もう少し続きます。↓

1987年に球場改修工事中、鴻臚館遺跡が発見。1997年、完全閉鎖

とのこと。こちらは、福岡城のお濠沿いに設置された「平和台球場記念碑」。↓

そして『鴻臚館広場』フェンスに掲示された『平和台球場』の在りし日の姿。↓

といったところで、そろそろ『鴻臚館展示館』へ入館するわけですが、またまたちょっと待った!↓

お話の続きは次回の最終回へ。よろしくお願いします。


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【鴻臚館広場】

福岡市中央区城内1