集落や須恵器窯跡があったけどもうありません【雉子ヶ尾古墳】
つい先日、福岡県大野城市の乙金地区にある【雉子ヶ尾(きじがお)古墳】を訪ねてみましたので、そのお話です。↓
3号線から左へ曲がって↓
東進します。↓
しばらくゆるやかな坂道を上っていくと↓
通りの突き当りに高架があって、これは九州縦貫自動車道である。
このトンネル手前で左へ曲がると、新興系?新興的な住宅地が拡がっていて↓
その住宅地の並びに、どーんと。古墳です。
その名も【雉子ヶ尾古墳】。「きじがおこふん」。↓
さっそく近くへ寄ってみます。↓
古墳そばの案内板には↓
こんな記載がありました。↓
大野城市の乙金地区には四王寺山、乙金山からのびる丘陵に多くの古墳が造られ、こちら【雉子ヶ尾古墳】もその一つ。南向き丘陵斜面を利用し、一番高いところで標高約51m、直径約10m、周溝幅約1mの円墳です。今から約1300から1400年前に造られた当時の有力者の墓です
また↓
この場所は土地区画整理事業地の南端。周囲には他にも集落や須恵器窯跡などの文化財があったけれど、もうありません
整備前の状況。ワイルドな感じ!?↓
円墳模式図。↓
ベンチにも座ってみましたよ。↓
古墳の裏側にも行けるのか気になりましたので見てみると↓
ちゃんと行けるようになっていて↓
説明書きがありましたので↓
読んでみると、こんな具合。↓
【雉子ヶ尾古墳】は横穴式石室。石室全体は南北に延び、南側が開いている。全長約6.9m
羨道があって、全室があって、玄室があるという形。それが横穴式石室なのだ、とのこと。↓
こちらは模式図。分かりやすい説明で助かります。↓
じゃあ実際の入り口はというと↓
こうなっています。↓
そして後ろに聳えるのは大城山(四王寺山)。↓
みんなで一緒に。せーの、大城山ー。
お話の続きはこちらです。よろしくお願いします。↓
【雉子ヶ尾古墳】
福岡県大野城市乙金27