23歳で岩屋城城主39歳で嗚呼壮烈玉砕【岩屋城址】
今回も引き続き、四王寺山の山登りのお話です。
前々回、ふとしたきっかけで太宰府市の山を登りはじめ↓
『高橋紹運公墓所』までたどり着きました。↓

そして前回の記事では↓
以前、二日市にある『高橋紹運首塚』を訪ねた時のお話をしました。↓

今回はいよいよ、四王寺山を先へ進み、全員玉砕という悲しい過去を持つ【岩屋城跡】を目指したいと思います。↓

木漏れ日がいい感じ。↓

しばらく進むと案内板があって↓

ガードレールが見えてきました。↓

横切っているのは四王寺林道というらしく↓

なんとこちらから、さくっと『紹運公墓地』を訪れることもできるようです。便利!!↓

案内板を読んでみると、こんな記述がありました。↓
高橋紹運は23歳で岩屋城の城主となりました。天正14年、北上した島津軍と戦い玉砕。39歳でありました。紹運以下勇士たちここ二の丸跡に眠る
ここは岩屋城の二の丸であると。では、通りを渡って先へ進みます。↓

再び山道へ入っていきます。↓

そばに【岩屋城跡】についての案内板がありましたので↓

読んでみるとこんな具合。↓
岩屋城跡(本丸跡)。岩屋城は16世紀半ば(戦国時代)宝満城の支城として豊後大友氏の武将高橋鑑種によって築かれました。同12年、彼は主家の大友宗麟に叛き城を追われました
そして↓
代わって、吉弘鎮理(のちの高橋紹運)が城主となりました。紹運は天正14年に、九州制覇を目指す島津軍を迎え撃ち、玉砕落城
では、先へ進みましょう。
階段がぎゅいーんってなっており↓

そして道は左右に分かれてる。左が『焼米ヶ原』で、右が【岩屋城跡】。↓

まず右を目指し、その後左へ向かうことにします。↓

右へ進むとすぐに視界は開け↓

あっという間に【岩屋城址】に到着。標高281mだそう。↓

【岩屋城本丸跡】と書いてあるよ。↓

これが有名な『嗚呼壮烈岩屋城址』の石碑で↓

向こうは↓

viewpoint!!たしかに!!↓

どこから見てもいい景色。↓

さらに小高い場所から、本丸付近を望んでいたら↓

お洒落カップルがやってきましたので、走って逃げたいと思います。↓

次回は『焼米ヶ原』なる場所へ向かい、そこからダッシュで家に帰る予定です。↓

続きはこちら!よろしくお願いします。↓
【岩屋城址】
福岡県太宰府市観世音寺704


